スコアリーディング

今頃は東京に戻っているつもりでしたが、金曜日までのすべての予定を変更して、高松にとどまることにしました。
作業の効率と健康のことを考えたら、それがダメージを最小限にくいとめる最善の選択だと判断したからです。

大量の抗生物質の効果で、とりあえず感染症らしき症状は治まりました。もう少しの辛抱です。
今朝は、まずは目の前に並んだ「なすべきこと」を、どの順序で着手するかを、しっかりと吟味することから始めました。

片っ端からやるなどという乱暴なことはせず、すべての対象について、難易度や煩雑性を検討して所要時間を割り出し、どの順序で進めるのが効率的かを見極めます。

こうして、ひとつのことに着手している間は、他のことに不安を抱くことなく、集中できるようになります。

検討の結果、今日と明日とで3つのオーケストラ作品を、エレクトーン1台で演奏できるように編曲する作業を終わらせることにしました。

それぞれに6時間、4時間、8時間が必要だと見込まれますので、今日は2曲を仕上げてしまいましょう。

昼頃になって、一度小休止。ホテル客室を清掃してもらうことと、薬を飲むために何か食べなければいけないので、気分転換がてら外出を。

港やお城を軽く散歩。

景色を見ていたら、もっと高いところから眺めてみたくなり、ホテル最上階でランチを。

景色は楽しめましたが、食べるものはまだおいしいと感じられません。さて、部屋に戻って仕事の続きを。

エレクトーン1台でオーケストラ作品を演奏するにあたっては、さまざまな過程があります。

まずは、選曲。そして編曲です。
オーケストラ用に書かれた曲であれば、大抵の場合、エレクトーン1台で原作の持ち味を損ねることのない演奏が可能ですが、作曲家の意図を余すことなく反映させようと思うと、いささか無理が生じる作品も中にはあります。

それは、ラベルに代表されるような複雑な作品よりも、モーツァルトのようなシンプルな作品に多く見られ、編成が小さく、それぞれの楽器が際立ってる場合は特に難しく感じます。

私が比較的得意な大編成曲であっても、どうにも10指と1足に収まらず、難所で立ち往生してしまい、何時間も筆が進まなくなることもしばしばです。

今日、手がける曲は、午前中にざっとスコアリーディングしたところによると、さほど難所はないと予想されますが、仕上がるまでは油断はできません。

数十人分のための書かれたものを、ひとりで演奏可能にするには、さまざまな要素を集約したり、置換したり、あるいは思い切って割愛したりといった、大規模な外科的手術が必要です。

しかし、決して失ってはならないのは、その楽曲の生命を維持するのに不可欠な要素。
しかも、微細な部分を損ねただけで、命の輝きが消滅するやもしれませんので、取捨選択には非常に神経をつかいます。

もうひとつ重要なのが、演奏しやすいかどうか、ひいては演奏してて楽しいかどうかという視点です。

何もかも詰め込んでしまっては、合理的な演奏が破たんしてしまい、仮にそれが演奏可能だとしても、まるでアクロバットのような見世物になってしまいます。
高度なテクニックと、サーカスのような技とは、音楽の世界では分けて考えなければなりません。

そのために、いかに合理的な演奏に適った編曲をするかが重要ですし、「何も省かれていないと感じられるように、ある部分を省く」には、熟練の技と同時に、エレクトーンの音や機能についての完全な知識がものを言います。

編曲の過程で、どのような音色と機能を使うのかを、きちんと想定しながら筆を進めるのですが、この複雑な工夫についてはあまりに専門的で、この場で説明するのは困難です。
例えるなら、初めて見る食材の山から、芸術的で美味しい料理のレシピを、想像力だけで書き上げるようなものでしょうか。

こうして頭で構成し直した作品を、今、ホテルの客室でコンピュータを使って入力しています。
今のところ順調に進んでいます。
でも、大好きなコーヒーが飲めないのが苦しい・・・

いつも作業の傍らには、香り高いコーヒーが欠かせませんが、今日は我慢します。
日ごろ、いかにコーヒーに元気づけられ、癒され、集中力を与えられているかが、今日という日には痛いほどよくわかりました。
コーヒーを祀っている寺院があるのなら、参拝しなければなりませんね。

高松は先ほど日が暮れました。

さあ、長い夜になりそうです。

(これで、編曲が仕上がっても、まだ完成までは3倍の工程がありますが、その内容はまたあらためてご紹介します。)