タクト音楽祭で寄席デビュー

怒涛のタクト音楽祭から一夜明けました。これまでさまざまなことにチャレンジして来た私ですが、寄席の世界は初体験。何から何まで新鮮で、深く心に刻まれる一日でした。

降りしきる雨の中、浅草東洋館に着いたのは午前10時。すると、正面にエレクトーン運搬のトラックが停まっており、ちょうど搬入が行われているところでした。私も急ぎホールへ向かい、すぐさまセッティングに取り掛かります。

東洋館の舞台と舞台裏は土足禁止なので、持参したスリッパに履き替えて作業します。その時、ちょうどアシスタントを頼んだ星野隆行も到着。開場時間まで90分を切っていますので、ふたりで迅速にセッティングを済ませました。

狭いステージを有効に使うため、エレクトーンはぎりぎり上手寄りに設置。演奏のしやすさとか照明の具合など、環境について贅沢を言えないことは想定していたので、「ここなら不可能ではない」という場所でよしとします。

その間にも、芸人さんたちが次々と到着。音楽家の中にも時どきハイテンションな人がいますが、そんなの比ではないくらい皆さん元気、元気!

50年ぶりの同窓会で会ったかのように劇的な挨拶を交わす皆さん。舞台の上もたちまち賑やかになりました。そして初めて全員が揃ってオープニングの稽古を。ちょっとしたカオス感が漂う中、トリトン海野さんがキレイに仕切ってくれて、なんとか流れを通すことができた頃には、もう開場目前。

実のところ、この時はとても不安でした。海外に単身で演奏しに行くことはしばしばありますが、やはり演奏会は演奏会、国内での手順とそう大きくは違いません。しかし、今回は寄席という完全アウェイ。場の空気感が音楽会とはまったく違うので、まともに息すらできませんでした。

かといって後ろでこっそり適当に振舞っていられるような役でもないので、そろそろ覚悟を決めなければ。

いつもの演奏会だと、楽屋で心を研ぎ澄まし、音楽と一心同体になる準備を進めている時間ですが、そのような余裕はありません。ひっきりなしに人が往来する狭い舞台裏で身支度をし、残りの時間は前半の進行を確認するために使います。

進行は自分でチャートを作って一目でわかるようにしてありますが、本番中それを見ながら進めることはできませんので、何度もイメージトレーニングをして頭に叩き込んであります。その頭にある映像をリプレイしながら段取りを把握することで、少しでも演奏に集中できるようにしたいところですが、なかなか雑念が拭えません。

そうこうしているうちに幕が開き、最初の高座があって、いよいよ出番。ひとたび弾き始めたら、ほぼ60分、弾きっぱなしです。

オープニングは「タンホイザーの大行進曲」。これはレパートリーではなかったので、今回のために編曲しました。芸人さんたちが紹介されながら旗振り入場すると、グランドオペラのような華やかさになりました。

その流れで「星条旗よ永遠なれ」。どちらも演奏した経験のある方ならおわかりだと思いますが、非常に体力が要り、聞いた印象よりも難度の高い作品です。

続いてカバレフスキー「道化師」を用いた音楽劇「ゆかいなコメディアン」。ベートーベン鈴木さん、やまけいじさん、朝倉まことさん、トリトン海野さん、福岡詩二さんがキャストで、荒木おさむさんがナレーションを務めます。

荒木さんのやさしく情感溢れるナレーションに乗せて、キャストたちが持ちネタを交えながらのパフォーマンスを披露。目の前で盛り上がっているにも関わらず、演奏と効果音挿入に必死で、楽しんで見ることができず残念。でもこれはエレクトーンシティでじっくりリハーサルしただけあって、いい感じになりました。一回で終わりだなんてもったいないです。

そして矢口美香さんのベリーダンスによるリヒャルト・シュトラウス「サロメ」より7つのヴェールの踊り。矢口さんの美貌とダンステクニックももちろん素晴らしいのですが、私が感服したのは、その場で奏でられる音楽から発せられた魂を、心と体で見事に受け止め、それが表現として溢れ出ていたこと。また再演を望みます。

福岡詩二さんの壊れるヴァイオリンでは、ギターの音色で「枯葉」のお供をしました。いつ何をなさるかわからないと評判の詩二師匠。ベテランの風格でした。

亜空亜SHINさんのマジックステージでは、ビートの効いた音楽で盛り上げました。事前にステージの動画をもらっていたので、すべてのイベントをタイムラインに書き出し、秒単位で寄り添えるよう音楽を構成しました。マジックも常に段取り通り進むとも限りませんので、何かあった際にフレキシブルな対応が出来るよう、対応策を何重にも練っておきます。

幸い、対応策を活用する場面はなくスムーズに進行しましたが、せっかく目の前の特等席にいるのに、マジックを楽しめなかったのが残念でした。タイミングを合わせるため、ほぼ亜空亜さんを見つめながら弾いているのですが、私の全神経は動きの分析に使われていて、目には入っているのに鑑賞できない状態だったのです。

この後はピン芸人さんたちのオンステージが続き、私は1時間半ほど休憩。客席で観覧したり、袖から覗いてみたり、全方位から東洋館の世界を堪能しました。やはりひとりで舞台に立つ人は皆、求心力が素晴らしいです。コツコツを磨き上げてきただけあって、どれも流石と唸らされる出来栄えでした。客席はほぼ埋まり、補助椅子も出る賑わい。何よりお客様の笑い声が、心を和ませてくれます。

第1部のフィナーレはエルガー卿の「威風堂々」。会場のお客様もタオルやハンカチを振って音楽に参加し、とても盛り上がりました。

第2部は舞台袖でおふたりの芸人さんのステージを楽しんで、いよいよタクトさんのパフォーマンス。最初がベートーヴェン「運命」でしたが、このコーナーはまったくリハーサルがなかったので、本番では困ったことの連続でした。

中でも、タクトさんが思ったより前に立っているので、指揮がまったく見えないのには困り果てました。タクトさんからは「お客様に向かってパフォーマンスするので、あまり指揮を意識しなくてもいいですよ」と言われていたのですが、どうしても音楽家の性で、舞台上に異なる呼吸を存在させないために、空気が動けば反射神経で反応してしまいます。

なんとか「運命」演奏を終え、エレクトーンの位置を自分で動かしてみるものの、なかなかいい位置が見つかりません。それでもステージは進んでいきます。

ブラームス「ハンガリー舞曲」をカラヤン、チェリビダッケ、レヴァインで振り分けたタクトさんは、すでに汗だく。一方の私は次にどうなるか予測は出来ているものの確信がなく、不安で体が萎縮しているような感じ。バッハ「G線上のアリア」はいつもなら目をつぶってでも弾けるのに、まるで知らない曲を弾いているような気分でした。

さあ、次はムソルグスキー「展覧会の絵」。私にとっては得意なレパートリーで、最近は無傷の演奏が続いていたプログラムです。タクトさんはチェリビダッケの形態模写。まるでチェリビダッケ本人が目の前に現れたのかと錯覚し身震いするような瞬間があるほどに真に迫ったパフォーマンスです。絵馬さんの切り絵がスクリーンに映し出される度に笑いや歓声が起こり、お客様は大いに楽しんでいる様子。

私もその息吹をじゅうぶんに感じ取っているにもかかわらず、演奏の先行きへの不安感が消えることはなく、体を大きく使ういつもの演奏になかなか入れませんでした。

やっとゴールが見えたのは終曲ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」を弾き始めてから。朝比奈隆先生の形態模写でダイナミックに終結し、会場は総立ちの大喝采に。タクトさん、本当にお疲れ様!そしておめでとうございます。

私も与えられた環境の中で、できる限りのことをやりました。たとえ音楽会でなくとも、私は音楽家。そういう意味では今日の演奏には懺悔の必要があります。どのような環境であれ、最高の演奏ができるよう、今日の反省も武器に変えて見せる。そう思いながら舞台袖に戻りました。

すると芸人さんたちが全員揃って大きな拍手で迎えてくれたのです。ああ、愛のある皆さんだな。こんな温かさ、久しぶりだな。そう思いました。初めてお会いした人がほとんどなのに、まるで旧友か家族のよう。芸人さんの世界は情が厚いのですね。

ちょっぴりですが芸人さんの世界を垣間見て、私たち音楽家がいかに恵まれているかがわかりました。芸人さんが猟犬なら、演奏家は座敷犬です。まあ、もっとも私は野良犬ですけどね。