Treador Song

今度の日曜日は2010年以来となる名古屋での演奏会。ソロ演奏のほか、バリトン歌手とのアンサンブルがあるので、今週はたっぷり時間を取って、名古屋に向けた準備をしています。

ソロは弾き慣れた曲が中心のプログラムですが、最近になって作品へアプローチする感覚が変化しているので、それに対応するための手直しに力を注いでいます。

名古屋の準備に関しては、歌と共演する曲も、かつて弾いたことがあるものばかりなので、土壇場になって慌てることはないだろうと読んでいました。

でも、同じ曲だとしても、更に進化したところを皆様にお聞かせしたいもの。以前の演奏を単純に再現するだけの演奏会にはしたくありません。

とりあえず、演奏予定曲の楽譜やレジストレーションデータ(エレクトーン演奏に必要な音色の組み合わせデータ)を探し出しました。膨大な量の楽譜とデータがありますので、いつも見つけるのに一苦労です。

例えば、歌と共演する曲の中に、歌劇「カルメン」の闘牛士の歌があります。バリトンの定番曲ですので、これまでも何度となく弾きましたが、しばらくご無沙汰でした。振り返ってみると実に7年ぶりです。

レジストレーションデータをエレクトーンに読み込んで、楽譜を見ながら弾いてみました。その感想は「なんじゃこりゃ」の一言。

手掛けたのがかなり前とはいえ、自分で作ったとは思えないような音色ですし、エレクトーン用の編曲も、まるで洗練度が不足しています。

何が違うのかというと、音色がまるで下品なのです。華やかで鮮やかですが、まったく立体感がなく、厚みや膨らみが感じられません。

試作品ならともかく、こんな恥知らずなデータを使って人前で弾いていたとは恐ろしい限り。早速手直しに勤しみました。

投じた時間は8時間。これほど時間が掛かるとわかっていたら、一から作り直した方が速かったのですが、終わってみるまではそんなつもりではありませんでした。

かなり大幅に手直ししたかというと、実は非常に微妙な調整しかしていません。それでも、聞こえてくる音は、重厚感と共にまろやかさが増し、劇的に変化したと思います。

好む音色が変わった理由はいくつか考えられます。ステージ経験により、心地よくリッチな音の感覚が身についたこと。自分自身のタッチコントロールテクニックがより洗練されたこと。そして、時代に合った響きを反映させたこと。

中でも、最後の時代に合った響きというのが、一番重要かもしれません。クラシック音楽は不変のようでいて、いつの時代をも生き抜けるよう、常に変化し続けています。

エレクトーンで奏でるクラシック音楽では、「リアルさ」や「派手さ」を追求するあまり、今の時代にどんな響きが好まれるかにまで考えが及ばないことが多々あります。

シャープでブリリアントな響きが求められる時代は過ぎ、特に昨年3月以降は、まろやかでナチュラルな響きが好まれます。

ただでさえ攻撃的な音になりがちなエレクトーン。そこが電子音の悩みどころですが、視点を変えれば、電子楽器ゆえに、感性さえあれば求められる響きを容易に創造することができます。

エレクトーンの魅力は迫力と多彩さだけではありません。どの楽器にも負けない繊細さを備えているところも、エレクトーンの自慢だと思います。今の私は、その繊細さを浮き彫りにするような演奏に夢中です。