見えない光

今週は、取り憑かれたようにだた一曲を弾き続けています。7月7日に新潟で演奏するジョン・ラターのグローリア。想像していたよりもはるかに奥深いこの作品は、私の弱点を見事に浮き彫りにし、それを克服する道を開いてくれました。

聞いた感じは、躍動感に溢れ新鮮。当初は楽しく弾けそうだと、楽に構えていました。でも、実際はかなりのクセモノで、厄介な部分がたくさんあります。

シンコペーションや変拍子が続く曲には慣れていますし、それなりにリズム感はあると自負していましたが、この作品を弾いて、自分のリズム感がいかにいい加減なものかがよくわかりました。

ある意味、これはエレクトーン演奏の弱点でもあります。ひとりで演奏するので、ビートをきちんと感じて弾かなくても決してずれることがないわけですから、アンサンブルのように縦のリズムを必死で追うことをいつしか忘れてしまうのです。

テンポ感も同様です。エレクトーンの場合、リズムパターンを再生しながら、それに合わせて演奏することがよくあります。これはポピュラー音楽を弾く際に重宝ですが、テンポが揺らぐクラシック曲ではほとんど使いません。

自由なテンポで弾けるというメリットが、場合によっては演奏を台無しにします。今回の私自身がいい例で、焦って稽古すればするほど、リズムは崩れて行きました。

最初のうちはビートをカウントしながら丁寧に弾いていましたが、次第に慣れてくると感覚だけで弾くようになり、気がつけばテンポもビートもめちゃくちゃ。これでは、指揮や合唱と合わせた時に、大事故になりかねません。

なぜテンポやリズムが崩れるのかというと、早く仕上げなければという焦りで、気持ちが先走るのがひとつの原因。もうひとつは音楽的な勢いや輝きを追うがばかりに、演奏が気持ち任せになってしまうから。

どんなに気持ちが盛り上がっても、音楽を奏でる以上は、作品の全体像と細かい構成を同時に理解して、適切にコントロールする必要があります。今は、そんな反省をしながら、もう一度音楽を立て直しているところです。

それとは別の大問題は、グローリアという言葉が示す「光」が、私の演奏から見えてこないのです。これではグローリアを演奏する資格がありません。

こればかりは悩みに悩んで望みの音を見つけ出すしかありません。このようにディテールでは頭を抱えていますが、トータルでは芸術をおおいに楽しんでいます。

明日の土曜日は新潟で指揮者を加えての初合わせ。さて、どうなることやら。しばらくはグローリア一色です。