才能の伸ばし方と守り方

私には音楽的才能がないのかもしれない。どんなに頑張っても思い描いた成果に手が届かない。音楽を心から愛しながらも、そんな風に思い悩む人に出会うと、どんなに時間を掛けてでも話を聞いてやりたくなります。

エレクトーンやピアノの演奏を磨くには、気の遠くなるような長い道のりを進む忍耐力と、細部を見逃さずにとことん突き詰めていく集中力が欠かせません。途中、何度も壁にぶち当たり、身動きが取れなくなることもしばしばです。

私も、これほど充実した毎日を送っているというのに、急に意欲が枯れそうになることがあります。

やるべきことはわかっているし、いつもなら考えるだけでワクワクすることだというのに、まったく手が出なかったり、楽器に向かうのが怖くなったり。いつもなら弾くことが一番の歓びなのに、弾けなくなってしまったり。

こうした状態は、音楽などの芸術的なことに勤しむ人ばかりでなく、アスリートにもしばしば起こりますし、ふつうの人の日常生活でもあることです。

自分の身体能力と精神性を酷使するのは、明らかにストレスになりますから、こうした状態に長く身を置く場合には、そのストレスを軽減するための対策をあらかじめ練っておくべきです。

特にコンクールや進学などで過度のストレスを体験する時は、この準備が欠かせません。

私の年齢になり、十分な経験を積んでいて、かつ十分な対策を取っていても、バランスを崩すことがあるのですから、まだ若く心が安定し切っていない年ごろであれば、親や講師による精神面のサポートがとても大切です。

現状ではあまり馴染みのないスタイルですが、音楽を導く講師とは別に、カウンセラーを付けるという体制が一般的になるかもしれません。

私が人を指導する場合は、相手の年齢にかかわらず、自分自身が紳士的であることを常に心掛けています。相手の能力がどうであれ、音楽に対して誠実に取り組んでいる限り、私が不機嫌になることはありません。

立場の違い、適切な距離感、節度などを互いが認識し、これらを親近感の上に置くことで、常に音楽が優位にあるという関係を保ちます。気心が知れれば自然と親しみや情が湧きますが、それらに流されて、才能を伸ばすチャンスを逸しては台無しです。

しかし、指導する側が十分な配慮を持っていたとしても、互いに人間ですから、思いがすれ違うことを完全に避けることはできないでしょう。

学ぶ側も常に尊重されるべきですが、かといって自衛を怠っては、思わぬ落とし穴にはまります。

まずは、自分の才能に疑いを持つことはやめましょう。自分自身に対する禁止事項にするのです。

いやな表現ですが、「才能がない」というのはひと目でわかってしまいますが、その逆はあんがい不明確です。才能の神様は、かくれんぼがお上手だと思いましょう。

そして、才能の神様はとても気まぐれです。全力で後押ししてくれるかと思えば、肝心な時に足を引っ張ったりもします。

私の経験上、才能というのは「におい」のようなもので、それがふんわりと香っていれば、人は興味を持ってくれます。あなたに興味を持つ人がいれば、才能が香っているからかもしれません。それが音楽的な興味なら、音楽の才能はあるということです。それに、自分のにおいには意外と気付かないものです。

それから、人に育ててもらうという甘えは捨てましょう。もちろん、担当講師は全力で指導します。でも、周りでどんなに盛り上げても、弾くのは本人。あなたの音楽なのです。

それでも気持ちが乗らない時はどうしましょうか。八方ふさがりで、お手上げという気分の時は、しばらくその気持ちに流されてみてもいいのではありませんか?

それきり音楽を諦められるのなら、長く続ける価値はないかもしれません。でもきっと、いずれは弾きたくて弾きたくてたまらなくなります。それが3日後なのか、10年後なのかはわかりません。

私がそのような退廃的な気持ちになるのは、新鮮さが枯渇した時。新しい人との出会い、未知のものからの刺激が欲しくてたまらない時なのです。

日々の努力で音楽が成長すれば、今度はそれを表現するための素材が必要になります。人間が表現する音楽ですから、その素材はすべて人生から得るもの。ただ楽器に向かっているばかりでは、音楽は花開きません。

私には才能がないのかな。そう感じた時が、冒険の始まりです。新しい服を着る。いつもと違う道で帰る。思い切って憧れの土地へ引っ越す。小さなことでも大それたことでも、とにかく一歩を踏み出してみましょう。