阿修羅と向き合う10分間

黄砂舞う水曜日の午後に訪れた奈良。2009年夏にコウキ商事で開催されたコンサート以来、久しぶりのことです。正確にいえばコウキ商事は天理ですので、奈良市を訪ねたのは30年ぶりになります。

せっかくですから世界遺産めぐりをしたいところ。しかし、用事が済んだらすぐに奈良を出発し、私を待つ弟子の許へと向かわなければなりません。

無事に用が済み、時計を見ると、予定の電車まであと30分ほどありました。せめて阿修羅像だけでも見たい。そこから阿修羅像のある興福寺までは徒歩10分。興福寺から近鉄奈良駅までも徒歩10分見ておけば大丈夫。であれば10分は国宝を鑑賞できそうです。

そうと決まれば一路興福寺へ。脇見もせずに国宝館へ向かい、窓口でチケットを1枚購入。吸い込まれるようにして館内へと進みました。

指の上に軽くおさまる玉ひとつとっても、千三百年もの時間を超えて輝き続けているのだと思えば、神々しく見えて来ます。

仏像を丁寧に眺めている余裕がないのが実に残念ですが、直感的に惹かれたいくつかに絞って、許される限りじっくりと向き合ってみることに。

いにしえの精神を今に伝える国宝を目の前にして、今世紀に私たちが創造したもののいったい何を、未来に生きる人たちは宝と思ってくれるのだろうかと、ふと考えてしまいました。

予定通り10分で退館し奈良駅へ向かう途中、文殊会のお練りに出会いました。雅楽の調べやかわいらしい子どもたち。ふだんの生活には存在しないものが、ここではふつうに親しまれている様子を見て、奈良の歴史をもっと深く探訪してみたくなりました。今度は泊まりがけで訪ねなくては。