i luv elephants, i luv my life

皆さんはどんな動物が好きですか?
私は断然、ゾウ派です。

こちらは毎度お馴染み、宮崎市フェニックス自然動物園のアジアゾウ「たいよう」です。私が勝手に思い込んでいるだけですが、日本全国約50か所で飼育されているゾウの中で、一番通じ合っているような気がしているのが「たいよう」です。

いつから「ゾウ好き」が始まったのか記憶していませんが、子どもの頃からではなかったようです。それがいつしか、ゾウをモチーフにしたアイテムが身の回りに増え始めました。

旅先でゾウの置物やゾウを描いた品物を見つけると、必要ないものなにの購入してしまったりします。

でも、いくら気に入っても、本物のゾウを飼育することはできません。もし可能だとしても、あるいはどこかのゾウがそれを望んだとしても、生きる世界がそもそも違うものが共存することは難しいと思います。

これはゾウに限ったことではありませんが、生き物たちの本当の姿には、眩しいほどに生命力がみなぎり、それらを目の当たりにした時には、生きるとはこういうことかと強い衝撃を覚えるに違いありません。

最近、「野生環境に近い飼育と展示」をウリにした動物園や水族館が人気です。ふだんの生活では見ることが難しい動物たちの姿を垣間見るには大変有意義な施設ですが、そこで「本当の動物の姿を見た」と思うのは間違いです。

本来の姿は、果てしない大地や海原の、人の目から遠い世界、これこそが本当の地球と呼べるところにあるのです。

旅先で、野生動物たちの生きざまを、ほんのわずかながら覗いた時、私は自分を恥じずにはいられませんでした。ネコ科の動物の身のこなしひとつとっても、私たち人間の洗練など不器用の象徴にしか値しないと感じさせられます。

美とは何か、その定義が私の心で定まったのはその時でした。以来、私は「美しい」という言葉を、人が一切の手を加える必要のない状態をあらわす場合に使っています。

人の暮らしは日ごとに便利になり、安全に対する意識も変わりつつあります。この環境の中で、いかにして自分の身を守るのかを学ぶことは容易でなくなりました。

つまり人は命を磨く機会を失いつつあるということです。「目覚めている」という実感とともに、遠く地平線までも意識を広げつつも、明日を迎えるための営みにすべてを注ぐ。

そんな生き方を提案しても、日本の若者には「なんだか疲れそう」と一蹴されそうです。

近年、私は中国のエリート大学生を対象としたキャンパスツアーコンサートを続けていますが、私が中国の学生から受ける印象が、まさにこうした「目覚めている」生き方そのものです。

彼らには溢れるばかりのエネルギーがみなぎっています。いずれ社会にでれば、とてつもないパワーを発揮し、世界を席巻することでしょう。

それに比べると、日本はもうバネが伸び切ってる感じ。それでは、世界に誇れるものが山ほどあっても、宝の持ち腐れです。でも、日本が産み出すものがまだまだ世界にとって必要であることも、中国での公演を通じて見えて来ました。

昨晩、中国からはPANDAがやって来ましたね。日本からの贈り物はKANDA。4月の上海でも、音楽による価値ある交流をして来たいと思います。