a picture and natural voice

今夜は、先日もご紹介したフォトグラファーの池谷友秀さん、そしてメイクアップアーティストの岡田知子さんと、5月に予定されているスチール撮影の打ち合わせを兼ねて、夕食をともにしてきました。

普段から美しいモデルや誰もが知っているセレブリティたちと仕事をしているふたりですので、私のようなありふれた人間を素材にするのは、さぞや知恵を絞らななければならないでしょうけれど、ふたりとも実に気さくに接してくれて、まるで友だちと過ごすひと時のようなリラックス感で楽しむことができました。

打ち合わせの本題はさておき、まずは、久しぶりに会った互いの近況を報告しあいました。
池谷さんは個展やグループ展が続いており、着実にキャリアを重ねています。
商業写真にも携わる一方で、自身の価値観や美意識に基づいた作品を撮り続け、それに対する評価が海外を中心に高まって来ました。

しかし日本ではまだ写真の芸術的価値は十分に認められておらず、それゆえに写真家の芸術的立場も低くみられがちです。
これはエレクトーンの地位にも共通するものがあります。

私が「池谷さんへの評価が高まっていることを嬉しく思っている」と伝えると、それをとても喜んでくれました。
とかく日本人は最初から有名人に仕事を依頼したがる傾向にあり、無名の才能にいち早く気づき、それが開花するのを見守るプロセスに興味を示すケースはむしろ稀です。

写真が切り取るのは、限りない時間の中の一瞬であり、無限の空間のごく一部分です。
それでも、見るものから果てしない想像を引き出したり、さまざまな問題を提起することもできますし、そこから議論が巻き起こり、ひいては世論が進化する一端を担うこともあり得ることを、池谷さんの写真は語っています。

私が密かに構想を練っているのが、池谷さんの作品と私の音楽をシンクロさせたエキシビジョンです。
題して「写真の肉声」。無言の写真に旋律を奏でさせる試みで、近い将来に実現させようと思います。

さて、今回のスチール撮影ですが、これまでとは違ったシチュエーションでやってみようということになりました。
単なるプロフィール写真ではなく、それ自体がアートであるようなものを創り出さなければ、池谷さんである意味がありません。

岡田さんのメイクも、私を「変身」させるのではなく、私の本質を顕わにしてくれることでしょう。

仕上がった写真は秋からのイベントに使用する予定です。楽しみにしていて下さい。