音楽の国境

先週の「歌謡曲ウィーク」に引き続き、今週は「民謡ウィーク」モードで、国内各地の民謡を自分の脳内にインストールしています。

先日実現したばかりのリー・チュヒさんとのコラボでは、韓国の音楽を体に叩き込み、やっと少し慣れてきたところで終わってしまいましたが、私が普段扱っている音楽とはまったく異なり、どのようにしたらしっくりと溶け合うのか、結局解明できないままでした。

何度やっても「こうじゃないよな」と、自分でも納得が行かないのですが、「こうじゃない」と判るだけに、まだ見込みはあると自分に言い聞かせて、ギリギリまでトライしました。

このように、自分にとって未知なる音楽、民族的な色合いの濃いリズムや旋律と向き合う時は、とにかくニュートラルになって、身も心も委ねるのが一番です。

バイクの後部座席に乗る時のような、あるいは催眠術を受ける時のような、すべてを流れに任せる感覚で音楽に溶け入れば、次第にその魂が見えてきます。

今週の日本民謡もまた実に奥深い。
私は日本人であり、日本民謡を受容する媒体はDNAに持っているつもりでいましたが、今週は「自分はいったい何人か?」と疑わざるを得ない心境です。
私にとっては、シンフォニーよりもずっと難解に感じます。

音楽には国境がないとよく言われます。それは音楽が言葉を越え、言語を介すことなくあらゆる人間の感情に何かを湧き上がらせる力を持つことを表現しているのでしょう。

しかし、音楽には国々特有の、更にフォーカスすれば地方特有の魂が宿っています。
それを単に五線上に書き記した記号に沿って奏でたのでは、音楽は命を宿しません。
たとえば、スペインの鼓動、ロシアの憂鬱、日本の空(くう)、それらひとつを取っても、地域、時代、書いた人の精神性などによって、無限の広がりの中に点在しています。
そう考えると、音楽には国境だらけで、ある地域に分け入るには、かなりの造詣が必要なのかもしれません。

民謡ウィークは、母の日に新潟・長生館で予定されている津軽三味線の新田昌弘さんとのコラボの準備なのですが、彼の世界観そのものが、私のものとはまったく違います。

彼を表現するキーワードをあげると、奔放さ、若々しさ、素朴さ、といったところでしょうか。

そして、ツールは津軽三味線ですから、パーカッシブで軽快です。
一方の私は、ほとんど真逆。彼が草原を駆ける馬ならば、私はサバンナの黒豹です。

民謡に加え、彼のオリジナル曲や普段演奏してるポピュラー曲のサンプルが送られてきたので、一通り聞いてみました。
聞いていて爽やかですし、躍動感があります。

さて、これに私がどう絡むのか。そして、どう支えるのか。
簡単なことではありませんが、またまたここでTANEちゃんが大活躍の見込みです。

楽譜が一切ないので、送られてきたサンプルから、彼が普段演奏しているスタイルとサイズ、調性、テンポなどをTANEちゃんがまず楽譜として視覚化します。

その後、私が吟味して、どう演奏するか、どのようなリズムを添えるかを考えていきます。
とはいえ、あまり時間がありませんね。でも、必ず間に合わせます。

現在、私のデスクにはオーケストラスコアが散乱しています。こちらも急いで仕上げるべきものたち。民謡とオーケストラ曲が頭で混線しないよう気をつけます。

赤いスティックは、いわゆるスニッカーズのような高カロリーバーです。集中力が途切れそうな時、迷わずにかじってます。