歓喜の裏で

10月の最終日、世がハロウィンに湧く中、浅草東洋館ではタクト音楽祭が開催されました。私は昨年に次ぎ、2度目の参加。今回も昨年と同じ演目をいくつか演奏しましたが、タクトさんの指揮パフォーマンスの入魂度、完成度が劇的に進化を遂げ、見応えのあるステージになったと感じています。

新しい演目の目玉は「世界一ちいさな第九」。オーケストラはもちろん私ひとり。そして合唱が13人、それにソリスト、タクト指揮という編成で演じ、東洋館のステージと客席が一体となって盛り上がりました。

音楽会の要素がかなり色濃くなっているものの、演奏の合間に芸人さんの持ちネタコーナーが効果的に配され、緩急のある雰囲気が出来上がり、肩が凝ることなくお楽しみいただけたのではないかと思います。タクトさんが総力を注いだ催しが大成功に終わり、私も本当に嬉しいです。

さて、ここから先は、演奏家視点でのつぶやき。つぶやきはTwitterでやってくれと言われそうですが、文字数が足りませんので、こちらに。

寄席のイベントと演奏会は根本から違います。芸人の方々は、ふだんから細かい段取りよりも、直感を頼りに、その場でツボを押さえた振舞いを見極め行動しています。それは素晴らしい才能のひとつで、クラシック音楽家として見習うべきことも多いと感じました。

しかし、緻密な演奏に、緻密な準備は欠かせません。事前にできる限りの準備をし、満を持して楽屋入りしても、現場で確認や集中ができなければ、望むような演奏にはならないのです。イベントの性格上、仮にそこまで求められていないとしても、常に最高の演奏を心がけるのが演奏家です。

今回、私が手本としたのは、すべてのエンジンが停止した飛行機を、高度3万フィートから無事に着陸させたパイロットの精神状態でした。現実に命を預かるパイロットとは状況が異なりますが、次々と変化するあらゆる事態を把握し、心を乱すことなく目的を達成するには、注意を向ける対象と意識から排除する事象とを正確に振り分けながら、不屈の精神で臨まなければならないところは共通しています。

昨年と違い、私には3人の個人スタッフが付いてくれたので、舞台裏のサポートは万全。ソリスト、合唱団の音楽チームも、私を精いっぱい支えてくれましたし、タクトさんや芸人さんたちも、本当によく協力してくれました。そして、何より素晴らしいのはお客様。新しい試みを受け入れ、惜しみない拍手や声援を送ってくれ、大きな励みをもらいました。

それなのに、なぜ命がけの着陸になるのでしょう。理由のひとつひとつはいたって単純です。多くの墜落事故と同様に、最初から誰が見ても明らかな原因はなく、小さな見落としや確認の省略が、結果として大きな破綻を招くのです。

おそらく、お客様にはそれほど大きな危機感は伝わっていないでしょう。エンジンが止まった飛行機で、お客様が安心して眠っているうちに着陸する間、私はひとりコックピットで格闘していました。それは見せぬが花。しかし、結果的にいささか乗り心地が悪くなった部分を思うと、心が痛みます。