娯楽と芸術の間で

演奏会では音楽を楽しんでもらいたい。でも、それ以上に芸術性を感じてもらいたいというのが、最近の私の心情です。楽しむことと芸術性は同居できるはずですが、適切なバランスを取るのはとても難しいと感じています。

コンサートでもコンクールでも、華やかで爽快な曲はとても人気があります。実際、演奏していても気分がいいですし、シンプルで分かりやすいものであれば、たちまち聞き手との一体感が得られます。

一方、地味な曲や深遠な作品は、どうしても敬遠されてしまいます。その美しさはこの世のものではないほどであり、そのように演奏するには極めて高度な技術と精神性が必要であるにもかかわらず、あまり印象に残らないと言われます。

そんな理由からか、コンサートでは娯楽性の高いプログラムを求められることが少なくありません。それはそれで、出来る限り主催者のニーズに応える努力をしますが、最近ではステージ演出に対するリクエストも多く寄せられるようになってきました。

それは主に中国国内での演奏会でのことですが、エレクトーン1台とシンプルな照明では、派手な演出に慣れた観客が満足しないと言うのです。

興行であれば、演奏プログラムにせよ、ステージ演出にせよ、演奏家のエゴで終わっては意味がありません。ニーズに耳を傾け、お客様や主催者に満足を届けるのが私の務めですから、誠心誠意努力しています。

でもそれは、必ずしも私がやりたいこととは一致しないばかりか、ずいぶんと隔たりが生じて来たように感じています。

そんな折、私のメールボックスに寄せられる多数のご感想や励ましの中に、くじけそうな私の心を強く支えてくれるものがいくつも見つかりました。

上海での演奏会を聞いた人からは、「過剰な演出にうんざりしていたところだったが、やっと音楽に集中できるコンサートに出会えた」とか、「コンサートは大音量と相場が決まっていたが、弱い音まで美しく心に響いた」などとあり、派手さ一辺倒かと思いこんでいた中国の人々にも、繊細さを愛する人が少なからずいることを知らされました。

子どもたちのためのひとりオーケストラコンサートでも、ルパン三世やパイレーツオブカリビアンが大人気ですが、中には地味なクラシック作品を好きになってくれる子もいます。

この先、国民的人気者でも目指すならともかく、私は自分の音楽を磨けるだけ磨いて、今歩いている道を進めるだけ進みたい、ただそれだけです。人に喜ばれるのは気分のいいことですが、芸術の価値を伝える演奏を忘れずにいたいと思います。