音楽を考えさせるということ

冬空に、遠くの富士山がよく映えています。街角の雪は氷の塊となり、子どもたちの格好の遊び場に。そばを歩く大人たちはヒヤヒヤ。車はもっとビクビクです。

私の仕事はエレクトーン演奏家。弾くことが専門なので、指導は本職ではありません。そのくせ、指導を専門となさる先生方にアドバイスを求められれば、もっともらしく答えます。

弟子たちの成長は、私にとっても非常に大きな歓びです。それぞれに努力を重ねてきた結果、技術的にも精神的もめきめきと成長しており、それはもう目をみはるほど。

ただ、最近ふと考えることが多くなりました。私は自分の演奏テクニックと音楽に対するアプローチを惜しみなく伝えて来ましたが、もしかすると本人たちが自分で考え抜くチャンスを奪っていないかと不安になってきたのです。

序の口の間は模倣もいいでしょう。でも、模倣のまま板についてしまっては、本当の表現はいつまでたっても眠ったままです。

さて、どうやって本人たちに考え抜かせるか。弟子たちを見ていると、間違えずに弾けたことで満足しているとは思いませんが、限りなく磨き上げるという感覚には程遠いようです。

本気で表現すれば、たとえ穏やかな曲を弾いていても、体中の血が熱くなり、まるでアニメに描かれるオーラのように、自分の奥底から未知のエネルギーが湧きあがってくるのを実感できるはず。弟子たちにもそんな体験をさせてやりたいものですが、周囲で造り出してやれるものではありません。

これまでは安易に答えを与え過ぎて来たと反省。自分で考えさせるとなれば、それだけ余計に時間も掛かりますし、仕上がりが遅れるかもしれませんが、本物の音楽を奏でられる人間に成長するよう、見守っていこうと思います。