泥沼から生まれる音楽

今週に入ってから、私の日々はにわかに慌しくなってきました。
溜まりに溜まった編曲や創作の仕事を、大急ぎで仕上げなければならなくなったからです。

といっても、締め切りが繰り上げられたわけではありません。
私が勝手に今の今まで放っておいたのがいけないのです。
片づけなければ後が大変だということも十分承知しながら、ずっと手を付けずに来たものに、とうとう真剣に向き合わなければならない時が来ました。
なぜ放置したのか。
名誉のために弁明しますが、面倒くさかったとか、後回しでいいなどと軽視したというのではありません。
今始めることがベストではないと心の声が言っていたからです。

そんな都合のいい言い訳をせず、デスクにしがみついてでも仕上げればいいのに、と思われることでしょう。
ところがこればっかりは、機が熟すまでは、手がつけられないのです。

仮に締め切りがいよいよ迫り、物理的な時間が限界だとなれば、ベストタイミングを待っている余裕はありませんが、その場合、仕上がりの質が低下することは避けられませんし、作業の効率も非常に悪くなります。

どんなコンディションであれ、よりよい着想を得て、少しでもよい仕上がりにしたいと考えているのに、それに逆らって安易にやり始めると、結局、後で最初からやり直すことになるケースも少なくありません。

私の胸の奥には、このコンディションを見守ってくれている「何か」が存在します。
そこがひらめきで満たされ、Go!サインを発信されるまでは、ひたすら待つようにしています。

実のところ、締め切りまで物理的に時間が不足する危険水準の仕事が山積しており、あと数日で手遅れになる土壇場ですが、まだGo!サインは来ません。

経験からして、あと1日、あるいは数時間すると聞こえてきそうな気配なので、泥沼の事態に備えて態勢を整えているところです。

ひとたびこのモードに突入すると、「一心不乱」「無我夢中」の境地になりますが、私自身にとって精神的負担が大きく、いつも途中でくじけそうになります。

やり遂げるために必要なのは、必ずできるというゆるぎない自信、なんとかなるさという軽やかな気持ち、そして皆さんに支えられているというぬくもりです。