恵みの雨か

第39回霧島国際音楽祭の会期は8月5日までですが、私は3つの出番のうち2つを終え、一度帰京しました。

県庁でのオープニングコンサートでは、お昼休みに合わせた開演に向けて、朝から準備が行われました。わずか45分、一度限りの演奏会のために多くのスタッフが集まり、すっきりとしたロビーがたちまちコンサート会場に。私はこうした準備の様子を邪魔にならないように眺めているのが好きです。すべてはよい演奏のため、お客様の満足のため。役割は違っても立場は同じです。

開演時間には多くのお客様が集まりました。お昼休みの県庁職員の皆さん、県内外から駆け付けてくれた音楽好きの皆さんに囲まれ、華やかに音楽祭のオープニングを飾ることができ、たいへん光栄です。

そして、準備よりも素早く撤収が行われ、私がまだタキシードのままでいるうちに、すっかりいつものロビーに戻っていたのには驚きました。

その後は、約24時間の休みがありましたので、鹿児島十字屋さんの教室をお借りしての自己練習と勉強を。エレクトーンをポケットやカバンに入れられなくても、せめてコンバスケースサイズに収まれば、迷わずいつもの背負って歩くのに。宿題がたまっている時は、一秒でも長くエレクトーンに向かっていたいもの。でないと不安で息ができなくなりそうです。

ホテルの部屋では、エレクトーンのデータ作成はできません。でもいざエレクトーンに向かう時に効率よく進むよう、作業のコンテを作ることはできます。組むべきリズム、作るべきユーザーボイスなどを決めておくだけでも、かなり楽になります。

鹿児島市内から霧島への移動は、他の演奏家と一緒に。その前にオールバッハの演奏会を観賞しました。4人の演奏家、4種の楽器によるガラコンサートは、この世のものとは思えない美しさで、終演時にはしばらく体が動きませんでした。

どの一瞬を切り取っても今のエレクトーンには不可能な領域での表現力。どの作品も有名で馴染み深いものなのに、完全な新鮮さ。堪能するとともに、激しく嫉妬を感じ、さらには打ちのめされました。これが本物の音楽。私はいったい何をやっているのだろう。

こんな音楽を奏でる名手と同じ車に乗っても、私は一言も発することはできません。ただただ座席の一部になりきって、おとなしくしていました。

その夜、自分の演奏会を翌日に控えながら、霧島の湯に長く浸り続けました。だれもいない露天風呂に雨が落ち始めると、それが自分の涙なのか雨なのかわからなくなりました。

これじゃいけない。さっと水風呂を浴び、なぜ場違いな私がここに呼ばれたのかをもう一度考えました。主催者に、私を呼ばなければならない義理はひとつもありません。必要だから招いてくれたのです。

であれば求められている役割を果たせばそれでいい。夢のようなバッハをはじめ、最高峰の演奏はその専門家にお任せすればいい。私は私の演奏をしようと心が決まりました。

霧島神宮かがり火コンサートの当日、晴れやかな気分で神宮に向かうと、2013年に中鉢聡さんとご一緒した時と全く同じ佇まいが迎えてくれました。ここは千年経っても変わらないのでしょうね。

ところが雲行きが怪しくなり、次第に雨が。それどころか、豪雨の域に。ステージには一応屋根がありますが、強い風に雨が吹き込むことも。それでも、開演時には晴れると願って、準備を進めます。

音響さんをはじめ、スタッフは非常に優秀で、屋外とは思えないほど気持ちよく弾ける音を作ってくれました。ひと通りのリハーサルでは、本番同様にジャケット着用で。いくぶん涼しい霧島とはいえ、湿度100%の中での盛装は楽ではありません。置いた楽譜は、使い古した中国のお札のようになってしまいました。

スペシャルゲストは、午後にリサイタルを終えたその足で駆け付けてくれたギタリストの大萩康司さん!2014年以来の再会です。大切なギターにダメージがあってはたいへんなので、雨が止まなければゲストは中止になりますが、束の間、雨が止んだ時を狙ってリハーサルをしました。私はそれだけでも大満足。でもだからこそ、お客様に聞いて欲しくなりました。お願い、晴れてくれ!

さすがにこれではお客様もほとんど来ないだろうと、誰もが思っていましたが、開場時間前には傘を差しながら長蛇の列が!それを見ただけで胸が熱くなります。しかも、客席は完全な露天ですから、傘を差したまま、または雨合羽を羽織って観賞していただくのが、申し訳なくて仕方ありません。

主催者とは、場合によっては途中で中止、ゲスト曲目は小雨までなら実施、とにかく状況を見ながら行けるところまで行きましょうということに。

満席のお客様に見守られ、いよいよ開演。雨は時折り弱くなりますが、ほぼ大雨。ピアニシモにしたらかき消されてしまいます。鍵盤のコンディションもベトベトで最悪なのに、なんだかとても気持ちがよかったです。かがり火から漂う焼けた木の匂いと、雨の森の匂いに包まれ、一曲ごとに盛大に拍手してくださるお客様、総出でお手伝いいただいた神宮の皆さまと音楽を共有できたのは、最高の思い出です。

大萩さんの出番だけは、不思議と雨も収まり、ギターの美しいピアニシモはもちろん、大萩さんの息づかいまでお客様に伝わりました。本番の化学反応も素晴らしく、弾きながら身震いするようでした。

で、大萩さんが退場すると、また大雨。残りのプログラムを弾いて終演したのが9時過ぎ。もうお客様も半分くらいになっているかと思いきや、更にお立ち見も加わって大盛況でした。

主催者も途中でストップにしようかと思うことが何度かあったが、お客様がどなたもお帰りにならないのに、止めるわけにいかないとの判断だったとか。最後まで弾かせてもらえて、感謝です。

しかし、余韻に浸っている余裕はありません。次は27日、鹿児島市内宝山ホールでの西郷さんファミリーコンサート。こちらでは、加羽沢美濃さん、富貴晴美さんとの共演です。

歴代の大河ドラマのメインテーマを6年分、さらに西郷どんで挿入される富貴晴美さんの作品を10曲演奏しますが、弾くより準備がたいへんなのがエレクトーン。

西郷どんメインテーマ以外は総譜もなく、音源を聞き取って再現しなければなりません。じっくり時間を掛ければ困難なことではないのですが、とにかく時間が足りない!北海道の弟子や和歌山の皆さんに協力してもらいながら、ギリギリの崖っぷちで踏み堪えています。

これが今のエレクトーンの役割なのかもしれません。こうした持久戦から抜け出すには、音楽性の向上とともに、楽器の進化が不可欠だと痛感します。ともあれ、27日はどうなることやら。それまでは不眠不休で取り組みます。