音楽の正体

9/6姫路文化堂主催「ラフマニノフピアノ協奏曲 第2番 第3番 演奏会」が終わり、名残惜しく播州を後にし帰京いたしました。

当初は7月の開催で準備しておりましたが、時にあらずと断念。しかし、文化堂の熱意は衰えず、ただちに代替日程を提案してくれました。

その後も状況が大きく改善されたわけではありませんが、全国からのご期待と励ましにより、このタイミングで実現できましたことをたいへん嬉しく、また感慨深く思っております。

一方で、無事に終演しホッとしながらも、この半年が私たちに及ぼした事の大きさを改めて思い知らされる公演に、何と言いますか、まだ身体中の細胞が危機的状況に遭遇したときのパニックから醒めていないという感覚です。

この演奏会に際し、文化堂の準備は完璧でした。お客様の安全はもとより、私たち奏者が求めるすべてに応えてくれました。であれば、私たちは何の不足もなく演奏に集中できるはずです。

ところが、知らず知らずのうちにどこかで掛け違えたボタンが心に忍び込み、まるで別の誰かの体を通じて演奏しているような不思議な体験をしました。

ピアノ協奏曲のような高い集中力を求められる作品を演奏するには、より念入りな事前準備が必要ですので、個々に許される限りの時間を注いで練り上げましたが、事前にふたりで合わせることが出来ず、本番前日に姫路へ到着してから10カ月ぶりに顔を合わせてのリハーサルとなったのです。これまで幾多の共演を重ねているパートナーですので、アンサンブルに問題が起こるとは考えていませんでしたし、実際、リハーサルでの合わせは非常にスムーズでした。

しかし、お互いにスタミナが不足していることが明白な上、相手の投げ掛けに鋭敏な反応を頭で感じることはできても、それを即座に挙動として表すことができず、まるで金縛り。これ以上はむしろ崩壊を招くと判断し、リハーサルを予定より早く切り上げざるを得ませんでした。

これは、昨日今日の短期間で生じた問題ではありません。継続的に舞台に立つことを絶たれている間に、超大作を演奏するための感覚がすっかり鈍ってしまったのでしょう。私に限って言えば、6月以降毎週演奏会をさせていただき、100作品近くを演奏しているというのにです。それだけラフマニノフはとてつもないものを要求してくる作品を残したということかもしれませんが。

米津に対しては、私が不要な負担を強いたことに責任を感じています。キャスパホールから会場変更となった姫路市民会館には、音響反射板がない上に、常設のピアノはかなり古く、ロシアものの協奏曲には不適切とわかっていながら弾かせてしまいました。

当初はヤマハから最高級のコンサートグランドをお借りすることを前提にしていましたが、私の力不足で実現せず。老いたピアノに最大限の敬意と愛情を持って調律してもらったものの、終演までコンディションを維持することは不可能でした。米津はかなり弾きにくかったはずですが、彼らしく一切の不満を口にせず。そこに甘えた自分が恥ずかしいです。

こうした背景にもかかわらず、当日の市民会館ホールには、音楽とそれを受け止めてくださるお客様が美しく調和し、5月の薔薇園のような心地よい空気で溢れていました。

開演後、いつしか強い雨となり、第3番の第1楽章を弾いていると、舞台裏から雨がたたく音も聞こえてきて、雨音に乗せてこの旋律を弾けるなんて滅多にないよなと、余裕なんてどこにもないのに、雨の匂いを求めて鼻に神経が向くのを感じたりしていました。

そして本番にしか出現しない、米津に宿る音楽の正体。私の密かな楽しみは、その正体と対峙すること。今回もそれが叶って幸せです。

次はどの地で演奏できるでしょうか。その機会を心待ちにしています。