坂町復興音楽祭

3泊4日、広島の旅。5月に続き今年二度目の広島ですが、今回は6月25日に坂町で開催された第4回復興音楽祭への出演が主目的。この復興音楽祭には、第2回から3公演続けて声を掛けていただいております。

3年前に初めて坂町を訪ねた時は、主催者の城谷智子先生以外によく知る人もいませんでした。リハーサルが始まっている会場に入る際も、靴を脱いで入るのか、履いたままでいいのかわからず右往左往。ドアの片隅に「靴の上から履ける専用上履き」のようなものを見つけ、それを履いたまではよかったのですが、なんとも歩きにくく困っていたところ、今日は靴のままでいいみたいですよと、知らない方から声をかけていただいたのがファーストコンタクトでした。

思い返せば、楽屋でもひとりでしたし、ホテルでもぼんやり海を眺めたり、散歩をしたりと、無言で過ごす時間がたくさんありました。

それが三度目の今回は、口を閉じる時間がないほどに。会場に入れば、皆さんが次々に声を掛けてくれますし、楽屋も男性諸君と一緒にしてもらったので、会話が弾みます。そうなれば自然と笑顔も増えますし、一緒に音楽祭を盛り上げようという気分も盛り上がります。

賑わいは会場だけではありません。今回は昨年にはなかったホテルに泊まりましたが、他のホテルから移って来た係に顔見知りが多く、部屋以外ではいつも誰かとコミュニケーションを取っているという感じでした。

特に外国人の係は積極的です。「私はラフマニノフが大好きです」「妹も音楽をやっています」「YouTube観ましたよ、素晴らしいですね」などなど。そんな嬉しいことを言われたら素通りできませんから、ついつい立ち話が長くなってしまいますが、居心地は最高です。

それでもまだ物足りないと思うほど、私はコミュニケーションに欲張りです。例えば、出演者全員とじゅうぶんな会話ができたとは言えません。ラテンバンドの学生たちなど、膝を交えて話したらどれだけ楽しいだろうかと思いますし、こちらの方が膝を打つことが多いに違いありません。

「うめじろう」の着ぐるみの中の人も、たいへん立派なボランティア活動家と聞いているので、話し始めたら一晩では足りないでしょう。初登場の若き演奏家、ご来場の町民の皆さまにも、聞きたいことはたくさんあります。

なぜこれほど、触れ合いたい気持ちになるのでしょう。やはりそれは、音楽祭を通じて、音楽が媒体となり、ひとつの関わりが生じたからです。「あの日は辛かったね」「お変わりありませんか?」「今年もお会いしましたね」。ささやかな交流のようでいて、実はとても強い思いが駆け巡っているのが、復興音楽祭の会場です。

私の胸を打ったのは、おひとりでお越しのご年配を多くお見受けしたこと。そこに復興音楽祭の意味を感じさせられました。できればおひとりおひとりに優しい声をお掛けしたい。その代わりに精一杯の演奏をお贈りしているわけですが、その音楽に受け止めていただけるだけのものが備わっているのか。自問は果てしなく続きます。