地下劇場

気温が上がらない水曜日。まだ雪の残る道を歩いて、北千住にある古い音楽事務所を訪ねました。手袋もマフラーもないばかりか、薄手のジャケットだけでしたが、少しも寒くないのは、すでに気持ちが音楽人間にシフトしているからかもしれません。

12月に山口での演奏会を終えた後は、マカオで半日ほど演奏家に戻ったくらいで、ほぼ一カ月をオフ気分で過ごしていました。ニュートラルどころか、アイドリングオフだったので、舞台での振舞い方を忘れてやしないかと不安に思ったほどです。

でも、こうして音楽家として人と会うとなれば、一瞬にして気持ちも神経も元に戻ります。奇妙に思われるかもしれませんが、鏡に映る自分の顔が昨日とは別人。我ながら不気味です。

それはさておき、この日訪ねた音楽事務所は、北千住の住宅街の中にあります。いつも応援してくれる方のご紹介で、プロデューサーと会うのが目的。気に入ってもらえれば、いい仕事がいただけるかもしれませんが、気に入ってもらうための特別な努力はしません。

古い小さな事務所で迎えてくれた方々は、この道数十年のベテラン。でも、少しも威張った感じはなく、この仕事が好きで仕方がないという雰囲気に溢れています。瞬時に、こんな人たちとなら、きっといい演奏会が作れるに違いないと思いました。

私は名刺はおろか、資料も持たず、自己PRはまったくしません。まるでカフェでくつろぎながら夢を語り合うような楽しい時間を共にしている感じです。相手は私が求めているものを提供できる立場にあり、逆もまたしかり。なので、演奏会はほどなく実現することでしょう。

話がまとまったところで、一言だけ私の本心をお伝えしました。「どんなに小さな演奏会でも、どんなに儲からない仕事でも、ぜひお声を掛けて下さい。」

まるで、売れない者が仕事を求めて懇願するようなセリフですが、実際のところ、私は仕事に餓えてはいません。それに、上海やリサイタルのように立派なホールでの大規模な演奏会はもちろん魅力的ですが、設備も整わない小さな会場で肩寄せ合って聞いてもらうのも大好きです。

すると、プロデューサーは、見て欲しい場所があると言って、事務所の地下へ案内してくれました。倉庫か作業場へと続いているのだろうと思わせる飾り気のない階段を下りると、そこは50名ほどが入る小さなホールになっているではありませんか。

先日piqueのライブを見に行った下北沢のライブハウスよりも、さらにシンプル。場合によっては殺風景にさえ見えるような空間。でも、そこにはこれまでプレイしたであろう人々の気が満ちているのです。この空間を愛していたり特別な思い入れのある芸術家が、多数いるに違いありません。

私はここでも弾いてみたい。その気持ちをプロデューサーにも伝えました。この空間も、「お前さん、何ができるんだい?」と私に尋ねているように感じられます。

私の悲願は、エレクトーンで奏でる音楽が、もっと広く親しまれることです。そして、いまエレクトーンに情熱を燃やす若者たちが、よい演奏によって豊かな生活を手に入れられる時代を創ること。このような小さいながらも、空間そのものが生き物のような会場は、そんな私の気持ちを一番理解してくれる場所であるような気がするのです。

こうして今日も、素晴らしい人たちと、得難い空間とに出会うことができました。2013年、いい感じでスタートしています。