私はなぜ音楽家になったのか

最近、取材やインタビューを受ける時に、私の音楽のルーツを尋ねられる機会が多々あります。あまり深く考えたことがないので、いつも答えに窮してしまいますが、改めて考えるチャンスを与えられたような気もします。

私は音楽家になろうと望んでなったわけではありません。気がつけばステージに立っていた。うそのような本当の話です。

まずはいつから音楽に興味を持ったのか。これは正直、記憶にありません。私は祖母と接する時間が長かったのですが、祖母はいつも音楽を聞いていましたし、ピアノを弾いたりもしていましたので、私も自然とそれらが耳に入っていました。

とりわけ進んで聞いていたわけではないと思うのですが、好奇心や吸収力が旺盛だった時期に、当たり前のようにして音楽のシャワーを浴びていたことには大きな意味があったのかもしれません。

聞いていた音楽も、私の好みではなく祖母の好みのものですから、渋い歌謡曲からジャズ、クラシックなど、多岐に渡ります。その中で私も一緒になって気に入ったのが、ビリーボーンやポールモーリアといったイージーリスニング。

祖母は歌うことも大好きで、まだ字も読めない私に、いろいろな歌を覚えさせました。

でも、今になって記憶をたどると、私の音楽の聞き方は、就学前から変わっていたような気がします。

たとえば、いしだあゆみのブルーライトヨコハマを聞かされた時、前奏のトランペットの3度のハーモニーの美しさに魅了され、スタジオで演奏しているミュージシャンの姿を目に浮かべていたのを記憶しています。

山本リンダの「どうにもとまらない」は、タムタムの躍動感に強い興味を覚え、魔法使いサリーのテーマソングでは、リズムアレンジの絶妙さに身震いしていました。

やがて小学校低学年で音楽教室に通い出し、レッスン室で高学年の上級者が演奏するピアノにうっとりと聞き入り、世の中にこれほど美しい音楽がたくさんあることに衝撃を受け、そのすべてを自分で弾いてみたいと思った時から、音楽三昧の毎日が始まったのです。

私にとって音楽は、いつも手の届くところにあったものなので、特別なものだとは考えもせずに過ごしていました。

学校の先生たちは私が音楽学校に進学するものと信じていたようですが、ふだんから生活の一部であることを学校で学ぶというのにはなんとも違和感があり、どうにも気が進まず、視野から除外。

それに音楽は大好きでしたが、自分が演奏家になれるとは夢にも思っていなかったのです。コンクールに出ても無冠。私の演奏は人に聞かせるレベルものではないと思い知らされた気がしました。

それから10年以上が経ち、私はふつうに給料をもらう仕事に就き、音楽とは距離を置いた生活をしていたのですが、時折、パーティなどで余興で弾いてくれと頼まれることがありました。

さまざまな人が集まりますので、中には音楽関係者もいて、これほど弾けるのにもったいないとアドバイスをしてくれる人もいましたし、人にも聞かせたいと、友人たちが小さな演奏会を催してくれるようにもなりました。

それがきっかけになり、いつの間にかステージに立つようになったというわけで、流れに逆らわず、なんとなく思うがままに生きて来ただけの私なのです。

音楽家になったのなら、有名になったりして名声を得たいと思わないのかとも尋ねられますが、有名になることにはまったく興味がありません。私は今が一番幸せです。出会うべき人とは、どこかで接点があるものだと信じています。

音楽というのは、その場に奇跡的に居合わせた人同士だけが感じる奇跡的な感覚ですが、大勢だからその感覚が大きくなるというわけでもありません。ひとりきりの演奏で皆さまを包み込むには、今くらいがちょうどいいのです。

あと何年弾けるのか、あるいはあと何年聞いていただけるのか、それもわからないから面白いような気がします。私自身の気持ちや価値観も、日々変化し続けていますが、いつも自分の感覚に正直でいるつもりです。