jardin

9月11日、和歌山でささやかな演奏会を開きました。タイトルはjardin。一昨年の夏に催した女性4人のコンサート「ensemble garden」の続きをイメージして、「音楽の流れるステキな庭」をテーマにしました。

演奏は私が受け持ってきたエレクトーン特別レッスンの受講生たちをメインに、ふだんその子たちを指導している担当講師も演奏を披露。立場や柵を越えて、誰もが一緒に音楽を表現したり、楽しんだりする様子を思い浮かべて企画した演奏会です。

本来の趣旨は一年の成果を発表する修了コンサートなので、発表会さながらに次々と演奏をさせれば事足りるかもしれませんが、それでは演奏家の私が携わる意味がありません。多少無理があるにしても、人前で演奏するからには、演奏家になった気分も味わってもらいたいと考え、演奏会がどのように作られていくのかという過程も体験させることにしたのです。

まず場所選びに苦労しました。ホールでは広すぎますし、レストランでは費用がかかり過ぎます。どこかいい場所はないかと皆で悩んでいたところ、灯台下暗し、教室の階下にいい感じのカフェがあることがわかり、早速貸切交渉に。すると、カフェのマスターも音楽人間で、願ってもない好条件で応じてくれたのです。

場所が決まり、お客様にはお茶とケーキをお出しすることも決まりました。こうしたサロンコンサート風の場で演奏するのは、子どもたちにとって初めての経験になりますが、環境の違いを乗り越えてちゃんと演奏できるかどうか、私も大きな賭けをするような気分でした。

そして、演奏会の後半を先生による歌とエレクトーンの部にして、私が構成を担当。ただでさえ指導やその準備で忙しさを極める先生方に、40分近いステージを務めてもらうのは酷としか言いようがないのですが、おふたりとも実に意欲的に取り組んでくれました。

子どもたちの演奏は日毎に上達し、数ヶ月前には必死で弾いていたものが、自分の意思で全体をコントロールできるまでに成長。それに対し、演奏曲の多い先生方はギリギリまで苦労していました。それもそのはず、2曲弾くのは1曲の10倍たいへん。それが8曲となれば頭が混乱するのも無理ありません。

そうして迎えた当日。私は早朝便を使い関空経由で和歌山へ。カフェにエレクトーンを運び込み、早速先生方のリハーサルを。きちんと演奏しているのですが、どうにも緊張感が漂います。それはとても責任感が高いことの表れですが、できることなら先生方にも弾く歓びを味わって欲しいと思いつつも、結局見守る以外できませんでした。

午後からは子どもたちのリハーサル。ひとりひとりの演奏を聴きながら、ここまでくればあとは自分で考えて演奏できると確信しました。よりよくするアドバイスもできなくありませんが、それよりも自分でまとめた今だからこその演奏をする方がいいと思ったのです。

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あっという間に開演となりました。満員のお客様に迎えられて子どもたちが次々と熱演を披露します。勢い余ったり、瞬間的に集中が途切れる場面もあるにはありましたが、堂々とした演奏でした。ティータイムを挟んで、先生方の演奏。8曲それぞれに表現を工夫しながらの熱演です。こういう演奏をしたいというビジョンがあっても、いつもと違う環境や時間の流れの中で、思い通りにいかないことが多々あったことでしょう。でも、それが本番というものですし、こうした経験があってこそ、逆流をコントロールする手腕が身につくのです。

一回目が終わり、出演者たちはやっと全体像がつかめた様子。さあ、二回目はどう弾くか。私はあえて何もアドバイスせずに放っておきました。私が指導した皆さんですから、自分で答えを見つけるはずです。

実際、二回目は一回目と大きく違っていました。一回目の方がいい演奏だった人もいます。でも、大切なのは一回目で感じたことを二回目に反映させたというチャレンジ。それが功を奏さなくても、学びはあります。演奏中は常に自分の発した音に耳を傾け、演奏環境にマッチするよう調整すべきとアドバイスして来ましたが、それもきちんと実践されていました。

また、他の講師陣も積極的に手伝ってくれたのですが、ティータイムの給仕や片付けまでやらせてしまったのは申し訳なかったです。そして、すでに巣立っていった子どもたちも、たくさん駆けつけてくれ、立派に成長している姿に胸がいっぱいに。こうして受講生と先生の晴れ舞台は、多くの方々に支えられ、大成功に終えることができました。

これが6年間通った和歌山で、指導者としての私が担った最後の務めです。皆さんそれを知って一緒に作り上げた演奏会だったこともあり、それぞれの演奏には、私への気持ちもたっぷり含まれていましたし、手伝ってくれた皆さんのすべての行いに愛情が込められていて、私は6年間本当に愛されてきたんだなと実感しました。

これがひとつの区切りではありますが、定期的にレッスンに通わなくなったというだけのことで、これまで紡いだ縁を崩すつもりはありません。きっと私の葬式にもみんな揃って来てくれることでしょう。

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