Oriental Sences in 東京 レポート 1

コンサートには、大きく分けてふたつのタイプがあります。ひとつは興行主やお客様のニーズに応え、求められる音楽をお届けするコンサート。そして、もうひとつは演奏者が発信したいと思うものを自由に表現する場としてのコンサート。

今日開催したOriental Sences~アジアの今を奏でる3人の男たち~は、後者のテイストが色濃いコンサートでした。

私がツァオ・レイと出会ったのは、2年前。でも、私はずっと以前から彼のことを知っていました。

私が本当の二胡と出会った時、歴史あるその伝統楽器を演奏していたのは、姜建華さんでした。

それまで聞いた二胡からは、哀愁や癒しの香りを感じはしても、深い芸術性を見出せなかったのですが、姜建華さんが奏でる二胡の音楽に触れた瞬間、私の考えは大きく変化しました。

その出会いは、共演を前提にセッティングしてもらったもので、以来、姜建華さんと何度も何度もご一緒している間に、二胡の魅力をたっぷりと教えてもらいました。

そして二胡のみならず、中国の伝統楽器に深い興味を持つに至り、はじめは必要に迫られてではありましたが、次第に中国楽器を主体にしたアンサンブル編曲などにも携われるようになりました。

そんなきっかけで中国国内の演奏家にも注目するようになり、上海民族楽団のエリートであるツァオ・レイの名前も知ることとなったのです。

でも、実際に演奏を耳にする機会にはなかなか恵まれませんでした。メディアなどで聞くことはあっても、本当の感性は生の音を聞かなければ理解できません。私の頭に「上海に優秀な若い二胡奏者がいる」という情報だけがある状態が長く続きました。

ツァオ・レイと初めて会ったのは、私と彼との共演を中国上海国際芸術祭のステージで実現したいと願う仲介役が、渋谷の稽古場に彼を連れて来た時のことと記憶しています。

その時、彼は私の音楽を聞きましたが、彼は二胡を持っていなかったので、私が彼の音楽を聞くことはできませんでした。

でも、互いに何かを感じ取ったのです。そして、私は近い将来、彼と舞台を共にするだろうと直感しました。

ところが、隣国とは言え、国境を隔てての計画は、なかなか思うようには進みません。

私たちが共演したとしてどんな音楽が生まれるのか、やってみるまでは自分たちですらわからないのに、明確なイメージを持って企画を実行に移してくれる人は出現しませんでした。

前例のないことは、誰かがリスクを覚悟で実現しない限り、世に出ることはありませんが、誰もしてくれないなら自分たちでやってみよう、それが今回のコンサートの発端です。

ツァオ・レイと米津真浩、そして私とのトリオは、きっと絶妙なアンサンブルになる。私はそう確信していました。でも、名前だけで切符が売り切れるようなスーパースターではありませんので、興行として成功させるという目標は端から捨てることにしました。

だれも出演料はなし。赤字が出たら、私が責任を持つ。でも、会場やスタッフなど、経費だけはペイしたいので、チケットはお買い上げいただく。もし黒字が出たら、チャリティーにすればいい。

そんなとんでもない条件でも、「やるよ」と言ってくれるのは、互いに憧れ、尊敬し合える音楽家同士だからこそです。

そして、誰が主役でもない、誰が脇役でもない、強いて言えば、ホールを満たす音楽そのものが主役。チラシも作らず、PRはブログと口コミだけ。

控えめな照明で、クールなのにドライではなく温かいステージで、この曲を弾きながら死ねたら本望と思えるほど、自分たちが大好きな曲ばかりを集めたプログラムでお贈りするコンサート。

それが今日、実現しました。いったい何人のお客様が来て下さるのだろうと、不安で仕方がなかったのですが、100人以上が集まって下さいました。

午前中から稽古を重ね、互いに感性をぶつけ合って望んだ本番ステージでは、支えたり支えられたり、闘ったり、心の中で抱き合ったり、とにかく本気で音楽を爆発させました。

ささやかなコンサートでしたけれど、実現への道のりは楽ではありませんでした。でも、やってよかった。気持ちよかった。今夜は、本当に何年ぶりかで、ひとりスコッチで乾杯しています。

演奏会の詳しいレポートは、またいずれ・・・しばらく余韻の中を漂わせて下さい。