支援に向ける私の考え方

災害に遭った方々に向けて支援の動きが急速に広がっていますが、私のところにも全国の皆さんから支援に関するメッセージが寄せられています。

コンサート会場で義援金を募ってはどうか、あるいはチャリティーコンサートを開催してはどうかなどなど。今は、そうしたご意見を踏まえながら、私が音楽を通じてできることを考え続けているところです。

まだはっきりとした考えはまとまりませんが、私が最大に役立てる機会は、被災した子どもたちが、近い将来必要とするであろう心の救いに際してだろうと思っています。

食糧やエネルギーといった、より緊迫したニーズにも積極的に協力すべきなのかもしれませんが、私に何もかもはできません。でも、身の回りで心掛けられることには積極的に取り組んでいます。

首都圏の皆さんは、被災地を案じながらも、自身の生活がどうなるのかという不安と闘っていることでしょう。空っぽになったスーパーやコンビニ、ガソリンスタンドにできた長蛇の列などがそれを物語っています。

私は節電には極限まで努力しています。地震後、一度も空調を使っていないので、自宅は震える寒さとなり、革ジャンを着て過ごしています。照明もほとんど使っていません。電気代の請求書を見るのが楽しみなくらいです。

一方で、食事はいつも通りを心掛けています。私は100パーセント外食ですので、今もそのようにしています。空っぽのスーパーとは違い、ほとんどのレストランは通常通りの営業をしていますが、店はどこもガラガラです。

こんな時に外食なんて贅沢だと言思われるかもしれませんが、レストランの経営者も従業員も生きていかなければなりません。このままだと彼等は二次的被災者になってしまいます。

いつも通り材料を揃え、下ごしらえをしてお客様を待っているレストランを、私は今こそ利用したいと思います。お客が来なければ、用意した食材は廃棄。それこそ、被災者に申し訳がありません。

このように、できるだけ日常生活を保った上で、控えるべきは控える努力をする、そして平常心を持ちながら、そう遠くない未来に必要になることを考えることにしています。

さて、コンサート会場での義援金集めについてですが、私はこれにあまり賛同できずにいました。

というのは、私のコンサートにお越し下さるのは、聡明で慈愛に満ちた人ばかりで、すでにそれぞれのご判断で行動なさっているはずですから、そこに重ねて求めるのはどうかと思ったのです。

しかし、音楽を聞いて帰るだけでは、何か後ろめたいというご意見もありました。また、「皆さん義援金を」と呼びかけながら、私自身は何も出さずに出演料をもらって帰るというのも、まるで偽善的で私には耐えられません。

そこで、明石においてはCDを100枚提供することにしました。お買い上げいただいたCDの売上は全額を支援に向けさせていただきます。

このお金の届け先ですが、実はまだ確定していません。なぜなら、私としては、冒頭でも申し上げた通り、子どもの心の救いとして活用してもらいたいという、絞られた目的があるからです。

食糧やエネルギーといった支援は、世界中からの善意によって、必ず乗り越えられることでしょう。しかし、それが一段落着いた時、人々の精神を支える文化的なバックアップは、過去の事例ではいつでも不十分です。

とりわけ、子どもたちが元気にスポーツをしたり、音楽に触れたりといった情操面でのサポートは、人間らしくあるために、食糧支援と同じくらい大切なのです。

私がコンサートを通じて皆さまからお預かりしたお金は、そうした形で活用してもらえるところに確実にお届けします。私は、あえてご協力をお願いしたりしませんが、このような思いでいることをご理解いただければ幸いです。