祖国を思って書かれた作品から感じること

昨年、東北の旅で私を出迎えてくれた花々。その花たちはとうに散っているとしても、その種子は芽吹く日を待っているはずです。今年もまた、ささやかながらもたくましく、花開いてくれることでしょう。

昨晩から、傷を負った楽器を弾き続けること12時間以上。節電に努めるため、楽器の電源のみを使用しています。空調はもちろん、冷蔵庫もコンセントから抜きました。どのみち、冷やさなければならないものも、温めたいものもありませんから。

私自身の生活にはなんら心配に及びませんが、多くを失った人々のことを思うと、穏やかな気持ちにはなれませんので、その気持ちを音楽の中に解き放ち、音楽が示してくれるものに耳を傾けました。

私が扱っている作品には、先人たちの苦悩とともに、生き抜く知恵が深く刻み込まれています。

乗り越えられそうもない壁に直面した時に、いかにして精神を強く保つか、あるいは、未曾有の不安に押しつぶされそうな時に、いかにして自身の愛を貫くかなど、考えても考えても答えの出ないことを教えてくれるのが、偉大な作品たちです。

とりわけ、今、私の心に強烈に訴えてくれるのは、祖国の危機に瀕して書かれた作品の数々です。危機の状況はさまざまですが、そこに流れる思いには、強く共感するものがあります。ある意味、今だから鮮明に感じられるのかもしれません。

それはどんな状況であろうとも、自分を育んだ土地をこよなく愛すること。愛国心という言葉を使うと、政治的なニュアンスを帯びてしまいますが、生まれた国土と自分自身が、体の一部のように、あるいは家族のように、断ち切りがたい絆で結び付いているような感覚です。

ふだんはあまり実感しない感覚かもしれませんが、復興の道のりに際しては、こうした感覚が大きな支えになることと思います。

メディアの情報に振り回されるのは、正直うんざりです。心の声と、自分の直感を信じて、まっすぐ前を向いて、この東京で生きていこうと思います。