みちのくのシンデレラたちへ

このブログでは話題を私の人生に限定していますので、これまで世の中でどんな出来事が起こっても、私が直接対峙している事柄でない限り、触れることはありませんでした。

しかしながら、今回の地震は私にとって、とても他人事とは思えず、心を痛めています。

近年は東北の皆さんが私のことを受け入れて下さり、宮城県や岩手県での学校巡回コンサートや、仙台クラシックフェスティバルで、数々の出会いと交流に恵まれました。

あの美しくも眩しい緑に囲まれた土地は、日本人すべての心にある故郷そのものであり、最も日本らしい安らぎを与えてくれるところです。今はただ皆さんのご無事を祈るばかりですが、この先、私が皆さんの心の支えとなれることはないか、これから知恵を絞るつもりです。

地震があった時間、私はステージに上がる準備をしていました。今日は舞浜のホテルで、関係者のみを対象とした食事付きの演奏会が催されていたのです。

午前中より順調に準備を進め、しっかりリハーサルも済ませ、予定通りにお客様をお迎えし、まずはお食事がスタート。お食事中のバックグランドミュージックは、TANEちゃんによるジャズスタンダード。心地よい響きが会場を包みました。

私の演奏は午後3時頃からを予定していましたが、お食事の進み具合が早かったこともあり、14時50分よりコンサートを始めることにして、最終のスタンバイに入ったところで、地震です。

大きく揺れるシャンデリアやスポットライト。頭上から大きなものが落下してきたら、致命的です。慌ててテーブルの下に身を隠すお客様もいれば、ホワイエに飛び出すお客様も。

揺れは激しいのですが、私が着目したのは客席のテーブル。グラスやビール瓶がひとつも倒れなかったのです。神戸の時は、テレビだってブーメランのように飛んで来たと言いますから、揺れの性質がまったく異なることは明白。遠くて巨大。とんでもないことになったと、ゾッとしました。

周囲の人に、大きな柱のそばでかがみ込むように伝え、私も安全な場所に移動。TANEちゃんは演奏中でしたが、中断して私たちとすぐに合流しました。

ホテルのスタッフからは、外にでるようにと指示がありましたが、私は従いませんでした。屋外の方が危険だと判断したからです。数十メートルのところには海がありますので津波が来るかもしれませんし、余震で窓ガラスが割れて降ってくるかもしれません。

揺れが落ち着いた直後から、ホテルのスタッフたちは、お客様のためにさまざまなお世話を開始し、毛布やシーツを用意して暖を取ってもらったり、温かいお茶やオレンジジュースなどを振舞っていました。

ホテルの裏手の道路には亀裂が走り、水が噴き出しています。でも、詳細な情報はなかなか入手できず、この後どうなるのか、また、どうするのかの判断が難しい状況が続いたのです。

いずれにしても、この後に会場に戻って演奏会を続行するのは不可能と思われましたので、残念ながらそのまま中止ということに。空はこんなに青いのに。

その後、私は17時30分の飛行機で大阪へ向かう予定。すべての公共交通機関が止まっている状況でしたが、私のスタッフに車で空港まで送らせました。

出発時間までには空港に到着したのですが、困ったことに以降の便はすべて欠航とのこと。でも、どうしても大阪に行かなければならないので、スタッフを呼び戻して大阪まで車で送らせる決断をしましたが、電話がつながりません。

そこに、舞い込んだ1便だけ飛ぶとの情報。空席待ちも非常に多く、どう考えても乗れそうもありませんでしたが、粘りに粘って頼み込んだところ、カウンターの係が熱心に調整してくれ、何とか搭乗。皮肉にも、空港の夕景は、ハッとするほどの美しさでした。

明日大事なコンサートを控えた私のかわいい生徒は、家族と一緒に京都のホテルにチェックイン。ところが、オーバーブッキングで部屋がなく、宴会場にエキストラベッドを入れて寝させられているとか。

東京の高層ホテルに泊まっている友人は、エレベータが止まっており、49階まで階段で行き来しているとか。

かと思えば、大阪の駅前では、酔っ払いがいつも通り陽気に盛っていたり。同じ日本で生きていても、人生は重なったり、どこまでも無縁だったり。

私にエールを送ってくれた「みちのくのシンデレラ」たちに、今夜は私からエールと祈りを捧げます。