黄昏のような曖昧さ

今日もまた暮れゆく瀬戸内海をぼんやりとみつめながら、大きな橋を渡って四国に来ました。昨日、にわかに決まった旅です。いつものように少女たちと音楽で対話をするために。

私が「音楽で対話をする人」と称しているのは、一般的には「生徒」と表現するのかもしれません。これまでも便宜上そのように表現してきたことがありますが、実のところ、私にとって「生徒」という言い方はしっくりきません。

他にもいくつか言いまわしがあります。例えば、「門下生」とか「受講生」とか「弟子」とか。でも、そのどれにもぴったりとは当てはまらない、あいまいな間柄なのです。

ただ、私は舞台での経験から得たものをアドバイスしたり、演奏を聞きながら感じたことを率直に伝えているに過ぎませんが、もしそれが指導だというのなら、私はあらゆる共演者に対して「指導」をしていることになってしまいます。

私がしていることは、指揮者が楽団員に演奏の指針を伝えたり、より豊かな表現を引き出すために実施しているコミュニケーションによく似ています。

互いにしばらず、いつでもリリースできる関係でもあります。

それでは無責任になりはしないかと心配されるかもしれませんが、音楽に対する誠実さを共有している限りは、それが強固な動機となりますので、私が気分に流されることは決してありません。

私の熱意と真剣さは、口よりも行動で示しているつもりですが、私のこのあいまいな立場を、相手がどう受け止めているかはわかりません。

でも、どんなに正確に描こうと思っても、音楽に解答はないのですから、こうしたあいまいな関係もまた「音楽的」でいいような気もします。

私の視点から見た彼等は、キャリアに大きな差がある音楽家同士でもあり、歳に大きな差がある兄弟のようでもあります。

そして、まだ「弾く本当の歓び」を体験したことのない彼等に、私が手にしてきた以上のものを実感してほしいと心から願いながら、一度ごとの機会を大切に向き合っています。

やはり、私にとっては「ファミリー」という表現が一番しっくりきます。

話はガラリと変わりますが、今日は特急「しおかぜ」に乗りました。お馴染みアンパンマン列車です。以前、ホームから車内をのぞきこんだ時は、特にアンパンマンデコレーションもなく「乗るより外から眺めた方が楽しい」と思いました。

でも、それは間違いでした。編成のごく一部に、思いっきりアンパンマンなセクションがありました。

天井までアンパンマンのキャラクターたちが描かれています。車内放送はオルゴールによるアンパンマンマーチの後、戸田恵子さんの声によるアナウンスが流れます。

私はノーマルな車両でしたが、放送だけでも楽しい気分になります。これでアンパンマン一色の車内販売があれば完ぺきなんですが、車内販売は一切ありませんでした。残念・・・