旅するタキシード

飛び飛びの演奏会スケジュールですが、公演地から公演地へと渡り歩いています。まずは飯田に向けてバスの旅。初めてのバスタ新宿では、フィリピンとかベトナムの国内線ターミナルみたいな雰囲気に、軽くカルチャーショック。でも、どこかの国のお兄さんが、万券のピン札を落っことしながら歩いていても、警備員がちゃんと英語で親切に声を掛けている様子は確かに日本です。

もし迷ったらいけないと思って、1時間も早く着いたのですが、すぐに乗り場を発見。ところが、高速バスの乗り方がわからないので、まずは他のバスに乗る人の様子を観察。どこの国に行ってもそんな感じで慣れるようにしています。

自分のバスが来たところで早速乗車です。まず非常口の場所を確認して、非常扉の操作方法を頭にインプット。これ、大事ですよ。それから座席に着いて、飲み物とヘッドフォンを用意。飛行機よりワクワクします。定刻に発車したものの、高速の集中工事で大幅な遅れが生じましたが、音楽と車窓風景を楽しみながら、約5時間掛けて飯田に着きました。

バスを降りたらホールへ直行。いつものようにセッティングして、すぐにリハーサル。たっぷり時間があったので、細いところまで丁寧に調整できました。開場前のホールはとても静か。楽屋には向かいの田んぼからカエルの大合唱が聞こえてきます。やさしい味のお弁当と美味しいコーヒーで一休み。おしゃべりの相手もいないので、またステージで調整を。なんだかこれから演奏会だなんてウソのようなのんびりムードです。

開場時間になると、場内の賑わいが裏にも伝わってきました。その声を聞きながらタキシードに着替えます。鏡を見ながら、最近、急に老け込んだなぁとため息。さあ、シャキッとしないと。それでも、カフスやボウタイなどの装備が進み、ステージシューズを履くと、それなりに演奏家風の顔に変わってくるから不思議です。

本番はお客様との対話を楽しみながら、あっという間の2時間。いい汗かきました。皆さん引き締まった集中力で聞いてくれ、演奏している時はホールに誰もいないかのような感覚になるほどでした。終演後にロビーに出て、残っていたお客様とコミュニケーションを。客席では穏やかな拍手をしていた皆さんなのに、よかったわよ~ってとてもパワフルな握手をしてくれました。そうこうしているうちに、もうタクシー待ってますよと声がかかり、急いで片付けて宿へ向かいました。

12年前にも一度泊まったホテルオオハシ。あれ?なんか記憶と違う。最近、そういうこと多いんです。どうも壁が薄いらしく、お隣さんの呼吸が聞こえて、まるで添い寝しているみたいで落ち着きませんせした。お隣さんの行動一部始終が伝わってくるということは、こちらも伝わってしまうってことですね。いっそドミトリー的相部屋の方が落ち着くかも。眠れなかったので朝一番で朝食へ。ほうれん草胡麻和え、ブロッコリー、美味しかったです。それから散歩。ジャンさんたちが12年前に吸い込まれた韓国料理屋はここだったのかと、長年の謎がひとつ解けました。もうさすがにヨン様のポスターはありませんでしたが。

さて、支度してチェックアウト。飯田駅までは約1キロ。フロントではタクシー呼びましょうかと声を掛けてもらいましたが、せっかくなので歩くことに。飯田の街並みを眺めながら、途中りんご並木を通り、駅まで10分ほどでした。駅に着くと急に強い雨に。改札前で立ったまま40分はちょっと長かったですが、駅の窓口を観察していたら、退屈しませんでした。とても親切で礼儀正しい駅員さん。こんな人たちと朝一番で接したら、一日中よい気分が持続するに違いありません。都会は忙し過ぎます。人はゆとりがないとよくないんだなと気づかされました。

飯田線に1日2往復のみの特急に乗車。ここでも感じのいい車掌さんに出会いました。車窓には天竜峡の素晴らしい眺め。この特急は日本一遅いと言われているらしいですが、おかげで景色を存分に楽しめました。豊橋から乗り継いだ新幹線は満席。上の棚にスーツケースを上げなくてはならず、怪我をしないよう気をつけて。タキシード2着と靴2足が入ったスーツケースは20キロほどです。

品川からは京急で羽田へ。やっぱり都会の人は表情が厳しいなぁ。飯田が早くも懐かしく思えます。空港カウンターでは素敵な笑顔に出会えましたが、保安検査場スタッフの感じの悪いことといったら。愛想振りまく仕事ではないでしょうけれど、あれはダメでしょ。残念。

そして鹿児島まで快適なフライト。主催者に出迎えられ、そのままハイヤーでホテルへと向かいます。車内では演奏会の打ち合わせもできました。飯田の宿を出発して10時間。楽しかったけれど、疲れ度も高止まり気味。初めての宿で、周辺のこともよくわからないので、館内で食事をしようとしたら、満席とのこと。お腹は空いてましたが、朝まで我慢です。

夜の分までモリモリ食べて演奏会のパワーをつけようと、評判の朝食に一番乗りしたのですが、お客が集中して大混雑。私はそういうの苦手なので、即刻諦めて退散。思えば今回の旅では、現地ならではの味覚に何ひとつ出会ってないなぁ。

でも、会場に入ったらやっと鹿児島の洗礼を受けることができました。親切で頼りになるホールスタッフが、バリバリの鹿児島イントネーション。バリバリ鹿児島弁だったらまず理解不能でしょうけど、イントネーションだけなら風情に感じられ、親しみも湧いてきます。そして、ランチは桜島の名物を詰め合わせたお弁当。夜と朝を抜いてよかった。キレイに食べ切りました。食後の散歩がてら、ホール建物の周囲を一周。このホールは二度目ですが、表側を見たことがありませんでした。あらあら、こんなに立派な建物だったんだ~とびっくり。気持ちが引き締まりました。

ステージに戻り最終調整。飯田での反省を組み入れ、リスクをひとつひとつクリアしていきます。丁寧に鍵盤を磨き、楽器本体もキレイに拭いてリハーサル終了。着替えるまでは、楽屋係をしてくれている方々とコミュニケーションタイム。単独行動だとしゃべる相手もいないので、開演直前だというのにスイッチが入らず、ほぼ実感ゼロのまま。何とかして奏者の自分を呼び覚まさないと。

おしゃべりで気持ちがほぐれたところで、15分前に着替えを。前の晩にしっかりスチームを掛けたので、コスチュームのコンディションもバッチリ。よし、飯田の夜にも増して奏者の顔になってきました。やはりステージに立ち続けていないと、どんどん緩んでしまうのかも。この日は午後3時の開演。ステージに進み客席を見渡すと、ここは東京かと思うほど洗練されたお客様の雰囲気。不安は一気に吹き飛び、終始気持ちよく演奏できました。終演後はロビーでお客様と握手。このふれあいの時間が私はとても好きです。

スタッフの皆さんに見送られ港近くの宿へ。そこがまだ東急ホテルだった頃に泊まって以来の再訪です。正面には鹿児島湾と桜島。ダイナミックな眺めです。どうやら水泳の大会があるらしく、水泳チームがたくさん滞在しています。廊下で会えば、みんな気持ちよく挨拶の声を掛けてくれます。洋食レストランは水泳関係で貸切とのこと。ホテルスタッフに館内での食事は無理かな?と聞くと、すぐに和食堂の席を取ってくれたので、薩摩料理の定食と芋焼酎でひとり打ち上げを。いい演奏会に乾杯!

翌朝、福岡への移動のため、鹿児島空港へ。沖永良部島以来、久しぶりにプロペラ機に乗りました。唸るエンジン音を聞くと、こうした小さい飛行機であちこち冒険をした若かりし日々を思い出します。あの頃の行動力は何処かへ行ってしまいましたが、明日がどうなるかもわからない生き方だけは変わっていません。次の演奏会は30日の佐賀です。今が旬の演奏をぜひ聞きに来てください。