レジストの流儀

大阪で迎えた清々しい朝。陽の光を意識したのは久しぶりです。ここしばらくは気候に思いを馳せる余裕がまったくなかったと、もう駆け足で生きる歳でもないのに、随分と前のめりに突っ走っている自分を哀れに思いました。

さあ、今日も私を待ってくれている人のところに向かうため、道を急ぐとしましょう。岡山経由で瀬戸大橋を渡り、香川県へ。車窓から見る瀬戸内海は、波も穏やか。モーツァルトのディベルティメントが聞こえて来そうでした。

坂出に着き、迎えの車に乗り込むと、あちらから神輿が進んで来ました。沿道に見物人がたかっていれば担ぎ手のテンションも高潮するのでしょうが、盛り上げ役は不在。それでも汗を光らせるアニキ衆のイナセな表情は眩しいほどでした。

今日は昨日に続きスーパーレッスン。コンクールがひと段落着いたところで、気持ちにも余裕が生じ、より深く音楽と向き合える絶好のチャンスです。

音楽や楽器との対話を重ねながら、心の中におぼろげに浮かんでいる理想の表現を現実のものにするため、丁寧に丁寧に、一音ごとに神経を注いで、音楽の秘密に一歩ずつ接近していくのですが、これは気の遠くなるような営みです。

エレクトーンの場合、音色の設定次第で、楽に美しい音を出すことも可能ですが、そればかりに頼っていると、精神性がどんどん欠落していきます。

私自身、たとえば5年前に作成したレジストレーションを改めて紐解いてみると、とても大袈裟で、きついほどに華やかに聞こえる設定になっています。

ところが近年、次第にレジストレーションが地味になって来ました。でも、演奏そのものは決して地味になっていませんし、むしろ表現の幅は広がりつつあります。

エレクトーンの音色を工夫し、より効果的な設定を研究するのも、ひとつの表現方法ですから、それを否定するつもりはまったくありませんが、私は自分の感性と技術を主軸にして音楽表現をする道を選んだので、こうした工夫はもはや邪魔でしかないと感じるようになったわけです。

とは言っても、どんな音色でも自在に表現できるということではないので、音色の設定にはそれなりに時間を掛け、納得のいくものになるまで工夫は重ねます。

できるだけシンプルに。そして、なるべく幅広い表現が可能となるように。
さらには、高度な表現力を持ってしてのぞまなければ、決してよい音がしないように。

このような回りくどい鍛錬にも真摯に立ち向かう受講生の姿を見るのは、満場のお客様からの喝采と同じくらい、私にとってこの上ない幸せです。エレクトーンの音楽に、ゆるぎない表現技術を。それが私と門下一同が掲げる目下の課題です。

さて、明日からは姜建華さんと東北ツアーです。久しぶりに姜建華さんのエネルギッシュなプレイとご一緒できるので、ワクワクしています。東北の皆さんに一人でも多くお目にかかれるのを楽しみにしながら・・・