遥か彼方へ思いを馳せる

屋内ではパソコンの画面に見入り、鉄道やタクシーの中でもケータイに釘付け。エレクトーンの稽古をする時は楽譜や液晶画面を追い続け、買い物に行っても、レストランのメニューを見ても値段ばかり気にしている・・・

気がつけば情報と数字に振り回され、そのせいでちっぽけな人間になってしまったような苦い溜息をついたりして。

そんな自分にサヨナラするきっかけは、病院でのありふれた出来事からでした。

ある日、体調に異変を感じ、これは放っておくとまずいかもしれないと、普段馴染みのない総合病院を訪ねた時のことです。長々と待たされ、やっと診察室に通されたと思ったら、担当の医師はほとんど私と顔を合わせることもないまま、問診を続け、必要な検査を受けてくるよう指示しました。

先生のご指示通り、あちこちたらい回しにされ、筒に入ったり、血を抜かれたり。後日、結果を聞きに行くと、また目を合わせることもなく、並んだ数字だけを眺めて、疑われる病気があるので、より精密な検査をするとおっしゃいました。

病院で体験した一連の出来事を思い起こしながら、私は「何ひとつ、人間でなければできないことはないな」と思いました。数値だけから判断するなら、コンピュータにだってできるのではないでしょうか。

そう遠くない未来、医師は全員ロボットになっているかもしれません。私はこの医師を信頼する気になれず、適当なことを言ってその場を後にし、それきり検査も受けていませんが、至って元気です。逆に、そのまま検査ばかりを重ねていたら、本当にその病になっていたなんてことも、あながちないとも言い切れませんね。

情報と数字が絶大な権力を持つこの時代、人でなければできないものってなんでしょう。仮に機械が代行できるとしても、こればっかりは人にしてもらいたいことって、たくさんあると思います。

たとえば、私の仕事は機械がとって代われるものでしょうか。決してミスをしないマシンが超絶技巧で奏でる演奏会なんて、私には想像もつきません。

銀行や駅改札など、人が消えた場所もたくさんありますが、果たしてそれでよかったのかなって、時々ふと考えてしまいます。効率化という看板の裏側には「日本に1億も人はいらない」と書かれているような気がしてなりません。

一方、サービス業では人間性が次々と失われ、機械を手本として業務にあたっているのかとさえ感じることが多くなりました。誰に対してでも同じ反応。お決まりの笑顔に、お決まりの挨拶。まだ、気まぐれにしかしゃべらないオウムの方が愛嬌を感じます。

大切な演奏会の直前、台本や楽譜にばかりしがみついていないで、広い空でも眺めながら、遠くの見知らぬ誰かや何かに思いを馳せてみる。
どう見たって数字がこうだと語っている時でも、直感的に違和感があれば、とことん疑ってみる。
そのくせ、相手が言っていることが明らかにウソだとわかっていても、たまには信じてみる。

それで、道は遠回りになるかもしれませんが、時にはそんな人生の寄り路も悪くない、なんて言える余裕を持っていたいなと思う、今日この頃です。