アンサンブルで触発されること

今日は引き続き私自身の稽古を重ねる一方、週末に予定されている波多江史朗さんとのコンサートに向けたリハーサルをしました。

サクソフォニストの史朗さんとは何度も共演してきたので、気心は知れています。性格は私とは正反対。誰とでもすぐに打ち解け、つまらないことでくよくよしないさっぱりとした性格は、なんとなく三味線の新田昌弘さんに共通します。

今日も、あらかじめ作成して送っておいた新曲の楽譜を持ってくるのを忘れるほどのおおらかさ。でも、私は少しも腹を立てたりしませんし、心配もしません。なぜなら、史朗さんは舞台で私に恥をかかせたことなど、一度もないからです。

あっけらかんとしているようで、実のところは相当な努力家。そして、舞台の上では天性の華とセンスが見事に調和して輝きます。また、会う度に音楽が進化していて、大きな刺激となって伝わって来ます。

今日のリハーサルは、お互いの息や解釈にブレがないかを確認するのが目的なので、演奏予定曲をサラッと通して終わる予定でしたが、いつのまにか演奏に熱がこもります。

合わせながら、私は史朗さんの旋律をずっと追っているので、時折自分が何を弾いているのかわからなくなります。自分の出す音はきちんと聞いていますが、自分の演奏には意識が向いていないのです。

そのため、ひとりで稽古している時にはきちんと弾けている部分でも、ミスをしたり、流れが崩れたりします。これがアンサンブルの怖いところでもあり、醍醐味でもあります。

そして、今回改めて思ったのは、エレクトーンって小さな音しかでないんだということ。史朗さんが間近でサックスを吹いていると、エレクトーンの音は最大ボリュームにしても、あまり聞こえません。

エレクトーンは、エクスプレッションペダルというマスターボリュームのような機能のあるペダルで音量全体をコントロールしながら演奏するのですが、他の楽器とアンサンブルすると、そのような機能の出番はほとんどないことに気付かされます。

音の大小も音楽表現では欠かせませんが、それよりもニュアンスのある音であるかどうかが重要です。ピアニッシモを表現したいからといって、ボリュームだけを目いっぱいしぼってみても、それは音が小さいだけ。「ピアニッシモ」とは、そんなに単純な言葉ではないはずです。

さあ、ますます25日の新潟・長生館の夜が楽しみになって来ました。美しい音色と息の合ったアンサンブルで、思い出に残るひと時をお届けしたいと思います。