痛みの記憶

今年もいよいよ後半戦。ラストスパート型の私は、これから年末に向けて、すべてのことが加速度的に勢いを増し、濃度も温度もどんどん高くなっていきます。

そのため、正月よりも7月に突入する時の方が、はるかに気持ちが引き締まります。後半戦を意欲的に突き進むことで、2010年もまた記憶に残るよい一年にしたいと張り切っています。

でも、若かった頃とは違い、ただ勢いだけで先に進むわけにはいきません。ささやかな我が人生を振り返り、過ちを戒めたり、喜びを噛みしめたり、これまで胸に刻んできたものの手触りをもう一度確かめてから、「いざ進め!」という気持ちで歩み始めたいものです。

近年の私は演奏する機会や素晴らしい出会いに恵まれていますが、やもすると弾くことと呼吸することが同等なほどに近接し、そのありがたみを忘れそうになることがあります。

そんな時、いつも思い出すのが、もう10年以上も前に経験した、ひとつのアクシデントです。
大変だったとか苦しかったという胸中を披瀝するのは、みっともないことなので避けていますが、今回はご容赦ください。

ある日、弟子が出演する演奏会のため、会場でリハーサルをしていた時のこと。私も舞台に上がり、弟子に細かい指示を出していました。その途中、客席に設けられた音響ブースに行く必要が生じ、舞台から客席への階段を下りようとした瞬間、足を滑らせ真っ逆さまに客席へと転落しました。

腕を地面に突いて骨折することだけは咄嗟に避けたのですが、その結果、階段の縁に肩から落下することになりました。

一瞬気が遠くなりましたが、すぐに意識は安定し痛みも遠ざかったので、たいしたことはないだろうと思いました。念のためすぐに診察を受けましたが、骨折はなく、打撲とのことでしたので、ホッと安堵したのでした。

ところが、帰宅してセーターを切断して脱ぐと、肩から腰のあたりまで、胸部と腹部全体が真っ黒に変色していました。再度診察を受けたところ、血管が切れたことによる内出血とのこと。後日、更に精密な検査を受けたところ、肩から腕に掛けての神経に深刻なダメージが見つかり、後遺症が残ると告げられました。

もうこのまま人前で演奏することはできなくなってしまうのか。不安と恐怖の中で、私にとっては弾くということが、まさに生きがいであると悟り、この日を境に、「弾ける喜び」の感じ方が一変したのです。

再び演奏できるようになるには、半年のリハビリが必要で、元通りにはならないだろうとも言われていましたが、弾けない苦しみからは2ヵ月で脱出。ミュージカルの伴奏で、無事に舞台復帰を果たすことができました。

その後もリハビリを重ね、ひきつり感や不自由さを感じなくなるには約10年かかりましたが、今では季節の変わり目に時折痛む程度で、ほとんど気にならなくなりました。

それでも、当時の不安や心の痛みを思い出すと、背筋が凍るようです。

私は人前で演奏する機会には必ず、それまでの人生を振り返り、「これが生涯最後の機会であるならば、どんな演奏をしたいのか」と自分に問い掛け、その答えを探ってから舞台へと踏み出すことにしています。

これまでのすべての困難と痛みを越えて今日の舞台がある。その思いを一音ごとに注ぎ、この先もありったけの情熱を込めて演奏していきたいと思います。

TOP写真は、負傷で休業中に自室で撮影されたものです。