オペラウィーク

新田昌弘さんとの民謡ウィークが終わり、その余韻に浸る間もなく、次の重要イベント「エレクトーンプレミアムコンサート」に向けて、頭の中の模様替えをしているところです。

思えば、昨日昌弘さんとコンサートをした長生館では、今度の日曜日に共演するサイ・イエングアンさんとも何度かコンサートをさせていただきましたし、昨年12月にほぼ5年ぶりにサイさんと共演する機会を与えてくれたのも、長生館の女将さんの口添えがあってのことでした。

そう考えると、新潟との数奇な縁を感じずにはいられません。
今、まさに運命を実感しながら、サイさんとのオペラウィークに意識を集中しようと努めています。

ところが、今日はどっぷりと疲労感が・・・
やはり、昌弘さんの若さに振り落とされたのでしょうか。

いえいえ、そんなことはありません。体力は十分に残っていますし、すでにパワーチャージも完了しています。

この倦怠感は、体力的にというよりは、精神的なものです。
何かひとつのものに対し、焦点を文字通り焦がすような集中をした後、そこからにわかに開放されると、ふと頭が空っぽになったような、時間の感覚も、空間の認識も、果ては自分が誰で、何のために生きているのかさえ見失いそうな状態になることがあります。

今夜がまさにそんな状態で、食欲も気力も半減しています。

これが、リサイタルを終えた夜には一層激しさを増し、耐えがたい喪失感に支配され、この先どう生きればいいのかわからなくなります。
達成感にはほど遠く、後悔や反省ともまったく次元の違う感覚です。

それに比べれば今夜は「軽傷」ですが、昌弘さんとのセッションは、私にとっては大きな非日常だったので、民謡ウィークを抜ける脱皮の痛みを経験しているのかもしれません。

加えて、私が半年間気にしているサイさんの一言があります。
ずっと気にして来たというよりは、考えるべき時が来たら考えようと思い、心の片隅に置いてあった言葉です。
オペラウィークに突入し、まさにそれを考え、解決する時が来ました。

昨年12月の公演に際して、本番直前のリハーサルでのこと。
今ひとつ、サイさんの行きたい方向に私の音楽が寄り添い切りませんでした。

オペラアリアを演奏する際、オーケストラである私が担うのは、単なる伴奏ではなく、音楽の水先案内人です。
歌い手が最大の演奏効果を発揮できるよう、その下地を整え、歌声という翼を舞い上がらせる揚力でなければなりません。

5年の間に、サイさんの表現力にも変化があり、かつてと同じ感覚ではブレてしまいます。
それを即座に軌道修正するのですが、サイさんにしてみれば、私のオーケストラはパーフェクトではなかったのだと思います。
私もそう感じつつ、弾いていました。
そこにサイさんから「神田さん、カンが鈍ったね」とのご指摘。
おっしゃる通りです。でも、リハーサルはそれで終わり。次は本番です。

私は焦るどころか、その言葉で奮起しました。
本番にはパーフェクトに寄り添って見せる。

サイさんの歌も、本番になるとリハーサルとは比較にならない素晴らしさです。
5年ぶりのサイさんは、歌声に深みが増し、演技にも一層の魂が注がれていました。
私も夢中で演奏し、リハーサルの時と比べたら、私もまた別人のような冴えで弾いていたと思います。

それでも、私は満足しませんでした。
求めるのは、単なる見事な演奏ではありません。
圧巻でなければ、サイ・イエングアン&神田将ではないのです。

今度の日曜日は、私にとってはリベンジのチャンス。

単独でのコンサートと違い、他にも出演者がいて、舞台セッティングやリハーサルも、私たちの思い通りにはなりませんので、環境としては厳しいものがありますが、だからこそしっかりやり遂げたいと思います。

プロとは、最悪の条件下でも、一定の成果をあげる仕事をする人間のことです。
環境が整っていて、十分な準備が許されるのなら、アマチュアでもそれなりの成果は上がるでしょう。
でも、瞬間風速だけでは仕事になりません。
私もプロの演奏家として、ボロボロのコンディションでも必ず見る者を熱くする、そんな演奏を届け続けます。