一意専心、鍛え抜く

今日は広島県にある楽器店におじゃまして、講師さんたちを対象とした講座をおこないました。
先だっての打ち合わせで若き部長さんと決めたテーマは、エレクトーンの未来を考えるというものでした。ほとんど思いつきのようにして決めたテーマではありますが、あながち的を外しているわけではなく、今こそ考えなければならないことのひとつです。

ただ、今回講座を受け持つ上で、ひとつ大問題だったのが、受講する講師さんたちにとって、私はどこの馬の骨だかわからない存在であるという事実です。知りもしない人間が、壇上で偉そうなことをまくし立てても、心に響くはずがありません。

限られた時間の中で一定の成果を上げなければ、集まって下さった講師さんたちの大切な時間を無駄にすることになりますので、いかに短時間で信頼を得るかがカギとなります。
これは、単発で稽古を付ける時も同様で、初めて会った子供にどうやって真意を伝えるかに、いつも最大の神経を使います。

今日は、テーマが漠然としていますし、講師さんたちの個々のニーズも把握できていないので、演奏を通じて何かを感じてもらうよう集中することにしました。

演奏に際しては、楽曲の解釈のしかた、楽譜に書かれてもいないのに感じとることのできる様々な情報の存在、演奏時の基本的な心構えをお伝えしつつ、シンプルながら効果的な音色の選び方、指先でどこまで表現できるか、などに触れましたが、具体的な手法やコツまでをご紹介する時間はありませんでした。

おそらく、タッチコントロールのコツをお知らせするだけでも2時間はかかります。でも、2時間あれば、見違えるような音を奏でられるようになり、それは一生涯使えるテクニックになりますので、また次の機会があるとすれば、追々お伝えしたいと思っています。

そして、今回一番お願いしたかったことは、音楽の現場で通用する人材の発掘です。

エレクトーンが広く愛されるようになるためには、エレクトーンを弾いて世界の舞台で観衆を魅了できる演奏家が近い将来にぜひとも必要です。
手軽に初心者でも扱える楽器というスタンスばかりでなく、相当に努力しなければものにならない楽器だという一面もはっきり強調し、本気で取り組む覚悟のある人々をもっと招き入れなければ、楽器としての地位は上がりません。

また、エレクトーンの世界では、演奏、編曲、創作、即興など、さまざまな要素をバランスよく身につけることが重要視されています。
それは幅広い音楽性を身につける上で、とても素晴らしいことです。
しかし、一方で、現場で求められているのは演奏なら演奏のエキスパート、作曲なら作曲のスペシャリストであり、何でも屋は結局都合よく使われるだけで終わってしまうのが現実です。

エレクトーンの世界も、ある部分に抜き出た才能を集中的に育て上げるというスタンスを受け入れる時期に来ているのかもしれません。
世界に通用する音楽性は、あれもこれもやっているようでは身につきません。一意専心、鍛え抜いてこそ、一流に昇り詰められるのですから。

今日の話がどれだけ受け入れてもらえたかはわかりませんし、私の言葉が足りないばかりに、誤解を招いてることもあるかもしれません。
ただ、私が今日対面した皆さんの味方でいるという私の気持ちはゆるぎないものです。

さて、お堅い話題はこのくらいにして。。。

今日もANA便で広島から東京に戻りました。
そして今は千葉にいます。

機内では編曲の素材と格闘していたのですが、ふといい香りに心を奪われました。
それは隣のおっさんが注文したファーストフラッシュのダージリンティでした。
おっさんはどうでもいいのですが、その紅茶は一瞬で私を虜にしました。
なんとも甘く、それでいて清らかで、もしこれが花ならば、どんな色や形をしているのだろうと、想像するだけでも胸がはずみます。

ところが実はこの紅茶、つい数日前に札幌から大阪への機内で私自身も注文して飲んでいたのです。
なのに、その時はさほど香りに酔いしれることはありませんでした。
では、どうしてこうも印象が違うのでしょう。

今日のCAの方が入れ方が上手だったのかもしれません。
でも、それより「よい香りはどこかから漂ってくるもの」という結論の方が合点がいきます。
自分の香水には鈍感でも、すれ違いざまに感じる香りには鋭敏に反応しますし、ふと感じる花の香りや潮の香りに、遠い記憶を呼び覚まされたりすることもあるでしょう。

香りと記憶は、五感の中では最も密接な関係にあるという研究成果があると聞きますが、それにも納得です。

また、ひどいにおいも嗅いでおかないと、よい香りにも鈍感になるのだとか。

私も、香り立つような演奏ができるようになりたいものです。