Tango in Shanghai

4月15日、上海交響楽団の室内楽ホールにて、二胡演奏家・趙磊のコンサートがあり、私も共演者として出演してきました。誘いを受けたのは1年ほど前。上海交響楽団が主催する演奏会に出演するのは、中国の音楽家にとって憧れであり、とても名誉なこと。出たくて出られるものではないんだ。中国のみならず、各国で演奏実績のある趙磊ですら熱を込めて語る様子に触れ、この晴れ舞台に全力で花を添えてあげようと誓ったのでした。

演奏会は、上海交響楽団メンバーと二胡との弦楽アンサンブルと、エレクトーンと二胡の二部構成。プログラムも早いうちに決まり、当日までの計画を細かく練り、この演奏会の準備に60日を費やしました。私の出番はソロを含めて3作品ですが、トータルの演奏時間は55分に及びます。加えて趙磊は弦楽アンサンブルの部で更に40分の演奏があり、当日の体力コントロールはかなり厳しいものになるだろうと予測されます。つまり、私は自分の演奏には一切気を回せないと覚悟しなければならず、事前の準備を完璧に練り上げて、趙磊のサポートをきちんとする構えで上海に向かいました。

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しかし、計画通りに事が進んだ試しがないのが、中国での演奏会です。時間通りに会場に入っても、すでに整っているはずの音響セッティングは、まだ始まったばかり。サウンドチェックが予定されていた時間はすっ飛び、いきなり趙磊との合わせがスタート。スピーカーの位置や向き、音量音質に細心の注意を払いたいところですが、趙磊との音楽的な擦り合わせも疎かにできません。まだまだ音響が定まらないというのに、ランチタイム宣言。こういう時だけは時間に正確です。でも、予定時間通りにリハーサルが再開されることはありません。

午後からも趙磊との合わせが続き、音楽的には有意義なコミュニケーションが取れました。一通り弾いたところで、ひとまずソロの時間をくれと、10分ほどソロを。その間も、音質音量に気を向けており、いくつか気づいた点をエンジニアに伝えてもらいます。最大のリクエストとして、スピーカー位置の変更を申し出たのですが、弦楽アンサンブルのリハーサルが終わった後でとの返答。そのまま弦楽アンサンブルのリハーサルに移りました。

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さすがに室内楽専用に設計されたホール。どの席で聞いても、バランスのいい美しい音が聞こえます。音量感も申し分ありません。二胡は西洋の弦楽器に比べて音量が小さいため、二胡にだけマイクが用意されています。私には無くてもじゅうぶんどころか、むしろ無い方が気持ちいいだろうと感じられたのですが、完全アコースティックのアンサンブルを聞くことはついにありませんでした。

弦楽アンサンブルのリハーサルが終わって、スピーカーの位置を変えてもらえるかと思っていましたが、変えたくないとのこと。せめて向きだけでもと調整してもらいましたが、その状態での音を確かめることができません。すでに舞台は第一部弦楽アンサンブルのセッティングになっており、エレクトーンは舞台裏に引っ込められていたからです。たとえ面倒がられても、ここでもう一度エレクトーンを出し、音を確認するべきでした。そうすれば、後に取り返しのつかない事態になったと後悔することはなかったかもしれません。

本番は3分遅れでスタートしました。会場は満席。上海の音楽シーンで重要な立場にある方々にまじって、世界的に著名な作曲家・譚盾氏も来場しています。舞台袖から趙磊と交響楽団メンバーを見送って、コンサートの流れを見守ります。エネルギッシュで表現豊かな演奏が聞き手を魅了し、客席に熱がこもってくるのが裏にも伝わってきます。大拍手の中、第一部が終了。汗に濡れた演奏者たちが、高揚した表情で袖に戻ってきました。さあ、まもなく私の出番です。

休憩の間に舞台転換が行われ、エレクトーンがセッティングされます。コードの接続を間違えられたりしたらたいへんですので、弟子をステージに遣って確認させましたが、問題なし。いよいよ第二部。まずは私のソロですので、ひとりで舞台へ。中央で長い礼をして、二階バルコニーにも挨拶を。舞台後方にも客席がありますので、360度視線を巡らせます。そしてエレクトーンに座り、演奏開始。

第一音目で、うわ、やられたという失意。音質がリハーサル時と違っています。それに加えて、デカすぎ。この瞬間に、音楽的なことに100パーセント専念することは不可能になりました。エレクトーン演奏中、おおまかなボリューム調節は、右足のペダル操作でおこないます。理想的な環境では、当然フォルテッシモの時は踏み込んだ状態になるのですが、この時は最大でも8割までしか踏めませんでした。

その後のアンサンブルも、バランスと総合的な音量感をどうコントロールするかに終始気をとられました。その一方で疲労の色が次第に濃くなる趙磊の演奏に対し、適切な先導をしていかなければなりません。でも、自分たちでどうにもコントロールできないのは、調節されてしまった固い音質です。まろやかで、会場を包み込むような音質を意識して仕込んできたのに、今会場に響いているのは攻撃的で突き刺さるような音。足が絡まってどうしようもないのに、踊り続けなければならない。悪夢の中でタンゴを踊る気分でした。

ある意味、趙磊を支えることには成功しましたし、演奏会全体として音楽的にひどかったというわけでもありません。でも、私が今回自分に課していた完成度は、もっともっと高いものでしたので、終演後の喪失感から、どうにも逃れられずにいます。だとしても、エンジニアを責めるつもりはありません。スタッフはじゅうぶん前向きに取り組んでくれましたので、今はこれが上海の音響技術の水準だと受け入れるしかないように思います。

そんな中、私が一番救われたのは、過酷な環境で悪戦苦闘する私を見て、自分も高いもの目指して頑張ろうと思ったという弟子たちの言葉でした。私が示すのは師匠の威厳でも、ベテランの貫禄でもない。音楽に誠実に向き合いながら、悩み傷つくひとりの音楽家の姿を、あるがままに見てもらうことにしようと思いました。

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