30年ぶり、悲願の第九

2週連続で列島をかき乱した台風。よりによって両方とも最も荒れる時間が本番に重なってしまうとは。これは私の行いに起因するのではないかと考え、帰京したらお祓いが必要だと思ったほどです。

幸い、どちらの公演も予定通りに開催され、お客様が少なくなることもなく、かえって熱狂的な盛り上がりになりました。嵐の日が好きになってしまいそうですが、お客様の足を思えば、やはり好天に勝るものはありませんね。

さて、今回の宍粟第九コンサートは、約半年の準備を経て実現しました。新たに結成した合唱団を丁寧に指導し、短期間で立派に暗譜で歌えるまでに仕上げた土田景介さんの手腕。不安を自信に変え、他人から「兄弟」へと昇華した合唱団ひとりひとりの努力。そして裏で試行錯誤を重ねながらも、コンサート成功に奔走したスタッフの尽力。力と力が合わさって、悲願が叶ったのです。

それを思うと、私こそが、本番間近に突然現れて皆さんをかき乱す台風だったのかもしれません。皆さんと定期的に顔を合わせられなかった分、前日と当日のリハーサルで一気に結束する必要があり、今回のコンサートでは、そこに一番の重きを置きました。

指揮者とソリスト、オーケストラである私との結束は、合唱団とのリハーサルの前に確立しておくのが望ましいと考え、4日前に事前の稽古を設定しました。これが土田さんの指揮、ソリストとの初合わせでしたので、じっくり時間をかけて音楽の打ち合わせをしたのですが、たいへん有意義だったと思います。

私が宍粟に入ったのは、前日の午後。伊丹まで車で迎えに来てくれ、そこからはわずか1時間のドライブでした。道中ほとんど高速道なので、空港からホールまで信号が数えるほどしかないという好条件です。ホールに着くと播州労音名物の歌うお出迎えセレモニーで歓迎されました。ちょっと照れるけれど、遊び心があって嬉しい演出です。

前日のリハーサルも順調に終わり、あとは本番を待ちながら、天候の回復を祈るばかり。しかし、雨は次第に強くなっていきますし、天気予報によれば、まるで台風もこの演奏会を目指しているのかと思うくらい、開場時間とピークが重なりそうで、心配が募ります。

そんな中、合唱団は朝9時に集合し、手分けをしてさまざまな準備を。私も続いて会場入りし、楽屋で朝食をいただいてから、前日に違和感のあった音色組み合わせデータを手直し。そしてソロの演奏曲目を一通り弾いて、今度はソリストたちのための「歌う歓迎セレモニー」に参加しました。

合唱団やスタッフも勢ぞろいでの出迎えを受け、ソリストたちは少々びっくりの様子。私も4年前に受けた衝撃を思い出して、愉快な気分になりました。この時には周南からの友情出演グループも到着。ホールは一気に賑やかになり、最終リハーサルへと進みます。

結成して初めて舞台を踏む合唱団ですから、皆さんドキドキ。一方で、リハーサルといえども一回ごとにガラリと変わり、進化を感じさせるところはまさに成長株。土田さんの指揮も、拍の指示からニュアンスの提示へと変化し、どんどん弾きやすくなってきました。

リハーサルが終わるとランチタイム。テーブルに用意されるのはすべて手作りの料理。新米の炊きたてごはんとよく合うおかずばかりで、本番前でなければお代わりしたいところですが、ほどほどで我慢しなければなりません。

開場時間となり、外の天候を尋ねると、かなりの雨とのこと。それでも、多くの皆さんが駆けつけ、長い列ができていると聞き、本番への意欲が更に高まりました。そして定刻になり、いよいよ開演です。

第1部はエレクトーンソロ6作品。どれも比較的弾き慣れている作品ではありますが、リスクレベルの高いものが多いため、最初から最後まで気は抜けません。しかし、お客様から伝わってくる期待感や落ち着いた照明により、ぐっと集中力が上がり、リスクに追われることなく、演奏を楽しむことができました。

そして、親しんできた6作品に、新たなアプローチを試みることもできましたし、写真に例えれば格段に解像度が上がったような、深くディテールを意識した演奏ができたと思います。

感じるがままに体を使い、気分よく演奏しながらも、第九へのエネルギーがきちんと残っているのか、常に注意することも怠りません。各曲の間はトークを挟み、コンディションの乱れが落ち着くのを待ってから次の作品へと進めるようにしました。

第1部を終えて袖に戻ると、ここでも皆んなが盛大な拍手で迎えてくれ、とても嬉しかったです。気分も体力も絶好調。もうこのままの勢いで第九に行っちゃいたいところですが、舞台転換もありますし、お客様にもブレイクタイムが必要ですね。

さあ、待ちに待った第九です。宍粟に響き渡るのは30年ぶり。この会場にいるすべての人が、特別な意味を持ったこのステージに期待を寄せています。エレクトーンソロで会場はすでに温まっていますので、あとは思う存分第九で燃えるだけ。

合唱団が整列。幕が上がると客席から盛大な拍手が沸き起こりました。ソリストと私が入場し、指揮の土田さんがそれに続きます。エレクトーンに座って、スタンバイ。緊張の一瞬です。その時、自分のズボンのファスナーが開いているのに気づきました。このまま30分開放も落ち着かないので、そっとファスナーに手を。ごめんね、土田さん。はい、お待たせしました、行きましょう。と目で合図。このハプニングのおかげで緊張はどこかへ。

前半の管弦楽部分が終わり、バリトンソロ。そうそう、この音色。求めているニュアンスそのものが聞こえてくるのは、本当に気持ちがいいです。初めて合唱が加わる場面では、喜びや輝きを感じさせる生き生きとした息吹が私の背中を突き抜けていきます。そしてソリスト4人の声が絡み合い、この日、この場でしか紡ぎ出されないハーモニーに。もうここまで来れば、必ず気分よく終われると確信しました。

その予感通り、エネルギーが渦になって吹き上げる中で演奏が終わると、大迫力の演奏にも負けない大喝采が起こり、尺玉の連発を見上げるような歓喜に包まれました。

舞台で一緒に奏でた今日の仲間は、半年前は互いにほとんど他人だったわけです。それが第九の引力に引き寄せられ、共に奏でることでついにひとつになりました。そして、見届けてくださったお客様とも、同じものを分かち合うことができました。やっぱり第九という作品はすごいですね。

その頃には、雨も上がり、日が差してきました。本物の嵐さえ吹き飛ばしたようで、いい気分。終演後は交流会。ここにも手作り料理が並びます。合唱団メンバーの感想をうかがい、皆さんの思いの深さに、改めて感銘を受けました。

そして「花こま」の皆さんによる、お祝い餅つきの振る舞いがあり、おおいに盛り上がりました。テノールの清水徹太郎さんや指揮の土田景介さんにも杵が回ってきたのですが、神田先生は指が大事だから・・・と遠慮していたので、自分からやりたい!と志願。リズムに合わせて杵を振り下ろすのは、実に爽快でした。

つきたての餅は、すぐさまきな粉をまぶして各テーブルに。ほんのり温かく、柔らかくてよく伸びる美味しいお餅になりました。

アットホームで和気あいあいとした親しみが自慢の宍粟。その魅力が演奏会にも表れていたように思います。この宍粟第九はすでに継続が決定し、来年は8月19日に公演します。ふたたび灯されたこの火が、いついつまでも光と温もりを放ち続けますように。