Oriental Sences in 東京 レポート 2

4月13日の公演当日には、コンサート実現までの道のりをご紹介しましたが、当日の様子についてはあまりお伝えできませんでしたので、今日改めて写真をまじえながらレポートします。

前日に来日したZhao Leiとは、午前10時に滞在中のホテルロビーで待ち合わせました。私が早めに着いてロビーラウンジで朝食をとっていると、Zhaoも後から来て加わりました。

そして車で一緒にエレクトーンシティへ。ステージでは音響や照明の準備が進んでいます。YONEちゃんは正午に到着予定。3人でのアンサンブルの前に、Zhaoとふたりでやっておくことがあったので、時間差で集合することにしてあります。

それは、エレクトーンとのアンサンブル独特の感覚をつかんでもらうこと。上海で合わせをした時、私はピアノを弾きました。ピアノ伴奏はZhaoにとって珍しくないことですが、エレクトーンとのアンサンブルは初めてです。

私のソロ演奏はスタジオでもコンサートでも聞いているZhaoですが、いざ、合わせるとなれば戸惑いを感じるかもしれません。

そこで、ふたりで稽古用のスタジオに入り、合わせの第一段階を実践してみました。まずは比較的呼吸が合わせやすい、ゆったりとした曲から。タイースの瞑想曲を合わせることにしました。

Zhaoはまったく動じることも乱れることもなく、安定した音楽を奏でていました。聞きにくいことはないかと尋ねても、大丈夫との返事。さすがだと思いました。

続いて、チゴイネルワイゼンの後半、急速で演奏する部分を合わせてみました。こちらも問題なし。Zhaoの勘のよさは抜群です。

あとは心配ありませんので、YONEちゃんが到着するまでは、互いに自由練習ということに。私は事務的なことや細かい準備などで、走り回っていました。

予定よりも早くステージを引き渡してくれたので、まずは二胡のサウンドチェックを念入りにおこないました。ふくよかで温かい響きでありながら、クリアでエッジのある音を求めるZhao。スタッフはそれに見事に応じ、理想的な音色ができ上がりました。

そこにYONEちゃん登場。ランスルーの開始は13時30分ということにし、それまではステージのピアノに慣れ親しんでもらいます。Zhaoも安心したのか、シティ周辺の散策に外出しました。

やがて時間となり、いよいよランスルーのスタート。実は、これが一番緊張する瞬間です。私が思い描いていた音楽になるのか、あるいは見込み違いに終わるのか。それが明らかになろうとしています。

しかも、コンサートの冒頭は即興演奏から始まります。決まった楽譜を奏でるのとは違って、互いの感性が合うか合わないかがすぐにわかります。

始まりは悪くない感じ。そのまま「茉莉花」に続くのですが、そこでZhaoから提案があり、段取りを練り直すことに。次の「誰も寝てはならぬ」も、メロディーのパート分けを変更するなど、より効果的な演奏のためにアイデアを出し合います。

ランスルーが何度も中断しながら、いくつもの変更を加えながら進んでいく中で、これはいいコンサートになるだろうと確信しました。

ZhaoとYONEちゃんもみるみるうちに打ち解けて、楽屋ではまるで兄弟のように和やかに過ごしています。YONEちゃんは二胡の本格的な演奏を聞くのが初めてだったらしく、かなり刺激を受けたようでした。Zhaoと私がリハを上がっても、ずっと弾き続けるYONEちゃん。

いよいよ本番がスタート。段取り通り照明が落ち、暗転の中、3人でステージに進みます。淡い照明の中、音楽が響き始めました。心地よい音色が会場にも、私たちの心にも染みわたります。

穏やかな雰囲気から、「誰も寝てはならぬ」の壮大なエンディングまで、冒頭部分で私たちのダイナミックさと繊細さを凝縮したイントロダクションを演奏。会場からは大きな拍手をいただき、とても気分のいいスタートとなりました。

そしてそれぞれのソロのコーナー。まずは二胡の「空山鳥語」。美しい音色にうっとりです。

次はピアノソロ。果敢で若さ溢れる演奏に圧倒されました。

エレクトーンソロがあって、Zhaoと私の「さくら」。照明もステキです。

コンサートは次第にスリルを帯び、3人での情熱的なアンサンブルへと突き進んでいきます。

アンコールまで含めて100分のステージは、あっと言う間に終わってしまったかのようでした。

音響や照明は、私のリサイタルを担当してくれているチームですので、エレクトーンのみならず、エレクトーンと他の楽器のバランスなどもパーフェクト。何の心配もなく気持ちのいい演奏ができました。

HOSSIが撮影してくれたDVDが、翌々日には送られてきました。それを見ながら、私も観客として楽しみたかったと思いました。その一方で自身の演奏を中心に反省点が続出。小樽までにはクリアしなければと思いを新たにしたのでした。