宮城と広島での滞在中、演奏会やレッスンなどで常に人と接していました。皆さんいい人ばかりですし、有意義な会話なので、少しも苦になることはなく、心地よくリラックスした状態ではあるのですが、消耗した体力を回復するには、休憩が不足していたかもしれません。
体力調整のために仙台から広島への直行便を選んだにも関わらず、引き返しが生じたことを受け、ギリギリの移動をせざるを得なくなり、厳しい体調を気力で補って役目を果たしました。
こうした場面でタフにいられる間はいいとして、これではいつか破綻してしまいます。それでもやるしかない時には、やるしかありません。
広島でのスケジュールを終えて、東京行きの飛行機に乗った時には、まだ気が張っていました。若いマネージャーが同行していますから、弱いところは見せられません。座席は離れているので、少し居眠りでもすればいいのでしょうけれど、他人であっても人前で寝るのには抵抗があって、この先の数日についての段取りを考えることにしました。
帰途についた瞬間から、私の頭はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のことでいっぱいです。編曲した楽譜は4月に書き上げてありましたが、エレクトーン演奏に必要なデータはまだ未完成でした。帰京したら、まずそれを仕上げなければなりません。
しかしこの作業には高度な集中力が必要で、仮に順調に進んだとして、完成まであと50時間を要する計算でした。リハーサルまで残すところあと113時間。どのようにすれば最善の結果を導けるのかを考えます。
余りにも疲れていたので、一度休息を取り、体力と集中力をリフレッシュするのがいいようにも思えますが、この疲労感でネジを緩めたら、そのまますべてが壊れてしまうだろうという怖さがあります。
そこで、帰宅後すぐに取り掛かる覚悟を決めました。荷解きもせず、そのままエレクトーンに向かい、中断していた第1楽章の中盤からデータ作成を再開。まだ公演のアドレナリンが残っているのでしょう。思いの外、作業は捗りました。
翌日も、またその翌日も、ほとんど眠ることなく、1ページ、1ページと仕上げて行きます。いくつかの難所では、1小節に数時間を要するところもありましたが、最終的には帰宅後47時間で終楽章まで完成させることができました。
よし、いいぞ、この調子。でも、現実にはまだ道半ば。この恐ろしく複雑な編曲を弾けるようにしなければなりません。
弾くには運動神経を使いますが、もはや体が言うことを聞きませんので、これはもう体を休めるしかないと諦め、数時間の睡眠を取り、痺れる体を無理やり起こしてエレクトーンに向かい、ひたすら弾き続ける。私の感覚では、広島から戻ってから、まだ一度も夜は明けていないはずなのに、もう4日が経ちました。
人に囲まれて笑顔が絶えなかった利府から呉の日々とは対照的に、追い詰められた孤独な時間。皆さまが目にする私の姿は瞬時の輝きであり、通常は冷たい海底で痛みに耐えながらその時を待つばかりなのです。

