霞町音楽堂「奇跡のコンチェルト」シリーズ第4回目のソリストはヴァイオリニストの松田理奈さん。
全国に展開する管弦楽団との「3大コンチェルト」演奏会など、輝かしい活躍を見せる日本屈指のソリストですが、私にとっては東京文化会館大ホールでのリサイタルにて、交響組曲「シェヘラザード」を共演してくれた恩人です。
5年ぶりの再会となる今回のメインはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。松田さんにとっては幼少の頃から親しみがあり、現在でも演奏機会の多い重要レパートリーですが、私は一から編曲をして、初めての演奏です。
リハーサルは本番前日の一度限り。じっくりと時間を割き、丁寧にアンサンブルを詰めて行く松田さんのアプローチには、ヴァイオリンに初めて触れてから世界を席巻する今日までの道のりが縮図のように見て取れ、非常に刺激と学びの多いひとときでした。
松田さんの感受性も、知れば知るほど敬服させられます。音を耳だけでなく振動としても感じ取っており、体全体が聴覚の一部を成しているというのは新鮮でした。また、時間や単位の感覚も常人とはかけ離れています。私がざっくりとデッサンしたものを、量子センサーでサーチされているようで、到底敵うものではありません。
こうした土台の違いを擦り合わせるのは不可能。そう悟ったら、潔く自分を捨てて、相手に寄り添うのが賢明です。
しかし、相手に寄り添おうにも、自分には能力と経験が足りません。30余年に亘り私はいったい何をしてきたのか。努力のすべてが音を立てて無に帰するのを、ただただ震えながら受け入れるしかありませんでした。
これまで広瀬悦子さん、青柳晋さん、松田理奈さんと、三人のソリストにご登場いただきました。演奏にはそれぞれの個性が光りましたが、共通している部分も大きいと感じています。
それは「ソリスト」としての在り方です。圧倒的なスタイルの、鮮烈なまでの妥協なき主張とでも言いましょうか、それがあればこその孤高であり、比類なき説得力を持つ演奏に到達するのでしょう。
ピアノは時にその受け皿という側の立場に回ることがありますが、ヴァイオリンには少ないので、より強烈に感じられます。これが不都合だという話ではありません。むしろおおいにそうあるべきだということを今回の経験で学びました。
一方で、自分自身の中途半端な立場に困惑を覚えました。独奏をする時でも、私はソリストとしての資質を持ち合わせていない気がしてきたのです。落としどころの設定値が低く、何にでも安易に妥協しているのではないか。そんな反省が頭の中を駆け巡りました。
12日の公演では、居場所を失った自分が、苦しい立場を演じていました。この感覚は、2月の姫路でチャイコフスキーを弾いた時と同じです。
あれ?チャイコフスキーと相性がよくないのかな?いや、シンフォニーを弾く時などは、こんな状態にはなりません。
いや、私に足りないのは、ソリストの泳がせ方。幸い、コンチェルトシリーズだけでも、あと8人の名手と合わせられますし、スピンオフの公演も次々と決まっていますので、これを会得する機会はじゅうぶんにはあります。来春には無敵のエレクトーン奏者になっていることでしょう。
写真:上田海斗





