音楽は愛

長年の親交があるピアニストの米津真浩さんがリサイタルを開催。エレクトーン奏者としてお招きいただき、ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第3番の管弦楽パートを演奏しました。

渾身のオール・ラフマニノフ・プログラムは、代表作を多角的に配置した秀逸かつ充実した内容で、やや重くなりがちなラフマニノフ作品を、生粋のラフマニノフマニアでない方々にも、たいへん魅力的に届けることに成功。

軽快で笑いを誘うトークとは対照的に、緻密で深遠なラフマニノフの叙情を見事に浮き彫りにし、如何しても意識が向かう超絶技巧の側面よりも、美しさや精神的な脈動に引き寄せる表現は、まさに類稀だと言えるでしょう。

前半がピアノ独奏で、休憩を挟んだ後半がエレクトーンを加えたコンチェルト。通常、ピアノリサイタルの後半だけにオーケストラを呼ぶことは非現実的ですので、そこだけを取っても今回のプログラムは革新的です。

一方で、独奏曲と協奏曲ではアプローチもスケールも大きく異なるので、ピアニストにとっては楽ではありません。どのように力配分をするのか、ただでさえ高度な集中力を求められる作品を並べた時、どのように自己をコントロールするのか、こうした未知の課題に対処しない限り、笑顔で終演を迎えることはできません。

そういう意味で、私の役割は、管弦楽パートの共演者である以上に、いかに心の支えとなるかでした。お客様によいものをお聞かせしたいという責任感ゆえに、極度の緊張に苦しみ、極限まで自分を追い込む姿を前に気休めなど意味を為しませんし、その緊張を取り払うことはむしろ完成度を下げる結果を招きます。

取り巻く空気そのものを味方に付けられるよう、余計なことを言わずに、ただただ寄り添うこと。もし不幸なことが起こるとしたら、そのすべてはこちらに流れてくればいい。とにかく今日は主役を守る。そんな思いで振る舞いました。

実際のところ、私自身のコンディションは人を守るどころではなく、日々、体力の回復に努める以上に消耗し続けており、当日の朝はあらゆる自信を失っていました。

それでも精一杯のことをしたい意欲は溢れており、久しぶりの共演を誰よりも楽しみにして会場入りしたのですが、なかなか波に乗れません。新しいエレクトーンの音もあまり好きになれず、合間に急いで手直しをするなど、落ち着かないまま時間が過ぎていきます。

でも、主演のプレッシャーはこれよりはるかに大きいのです。休みなくリハーサルに励み、その間にもファンサービスに努める姿を見て、これは必ず報われるべきだと思いました。

開演直前の舞台袖で「ああ、どうしよう、やばすきる!」と嘆く米津さんに、「好きな曲を幾つか弾いて帰ってくるだけでしょ」なんて言って送り出し、その後は楽屋のモニターでじっくり拝見。つべこべ言って出て行ったのに、堂々といい演奏していました。

残るはコンチェルト。一緒にステージへ進み、深く頭を下げてから弾き始めました。ここで自分の都合を優先すれば、自分を質を守ることは可能ですが、あえてそれを捨てることに。ピアノ独奏の欲求に鋭敏に応えるには、自分を構ってはいられません。

真っ赤に充血した私の両眼は、ピント合わせを完全に放棄したので、暗譜を頼りにすることになり、プログラムチェンジの記憶が曖昧なところで変なことをしてしまいました。

そうした傷はいつまでも後悔として残りますが、自分優先の弾き方をして相手のペースを狂わせたら、その方が心に重くのしかかります。

今回の共演では、デュオの醍醐味はしっかりとお伝えできたと思います。単にリスペクトし合うだけでなく、もっと強いものを通わせていればこその音楽があり、それをお伝えできたのは満足です。

そしてこの度のリサイタルを企画主催された榊原花梨さんの惜しみない努力にも胸を打たれました。諦めないこと、とことんやってみること、それが実を結ぶこと、すべて実践し証明しました。感謝いたします。

写真:上田海斗

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