KANSAI SUPER LESSON

関西滞在3日目。のどの調子もよくなり、心置きなく大声を張り上げてレッスンにのぞめるようになりました。阿倍野橋にできる日本一高いビルは、着々と工事が進んでいる様子。子どもたちの実力や感性も、こうして着実に積み重なってほしいものです。

日曜日は月一回の和歌山レッスン。開館から閉館まで長丁場の稽古なので、終始集中力を絶やさないために、前日から気合いを入れて出掛けます。

昨年の10月に開講したゼミもはまもなく終盤を迎え、通常の稽古は8月を残すのみ。9月の最終回は全員で修了コンサートをします。

修了コンサートでは、個々の成果を発表するというより、自分の演奏がコンサート全体の一部であるという気持ちで、全員で力を合わせてひとつのステージを造り上げることを体験してもらいます。

レッスンでは、コンクールに向けた準備を中心にしつつも、基礎力を高めたり、音楽的な表現力を養うことに重きを置いてきました。コンクールでは次に駒を進めている人もいますが、すでにレースから外れた人も少なくありません。

長い期間を費やして準備してきたので、賞を逃した時の落胆はかなりの大きさです。でも、いつまでもくよくよしていられませんし、入賞できなかったわけを考えて、次に向けてまた一歩を踏み出します。

駒を進めた人は更に洗練を極めるために、細部にわたり丁寧な仕上げをしていきますが、この段階まで来ると、そう簡単には思うような変化が得られなくります。

一方レースから逸れた人は、緊張から解放されることで、がらりと変わった演奏をするようになります。より純粋に音楽を楽しんでいるというか、ぎすぎすした感じが消えて、端整な印象すら生まれます。

コンクールの本番でこそそんな演奏をしてくれたらよかったのになんて思ってしまいますが、それがたやすく出来れば苦労はありませんね。

そのくつろいだ演奏からは純粋な弾く歓びが感じられ、表情や身の動きにも自然と引き込まれるような魅力が漂い始めます。そんな様子を見ていると、入賞した人よりも得たものが大きいのではないかとすら思えて来ます。

子どもの才能は人それぞれ。大人の視点だけでにわかにまとめ上げてしまっていいのだろうかと自問することもしばしば。

人に音楽の心と技を伝承することの難しさや恐ろしさを日々痛感しているわけですが、無口な生徒のさりげない笑顔や、自分がいかにエレクトーンが好きかを母親に手紙で綴ったという生徒のエピソードなどに触れる度に、私の持てるものを惜しみなく与えて行こうと思いを新たにしています。