止まった時計と動かない思考

数日前。ふと時計を見ると、針が止まっていました。今回の旅行には友人がくれた自動巻きの腕時計をしてきたのですが、日中は日焼け後が付くといけないと思い、外してホテルに置いてありました。

時計は勢いよく振り回したらすぐに動くようになったのですが、私の思考回路はどんなに刺激を与えても活発にならず、少々気が滅入り気味でした。

友人と過ごしている時間、街を歩いている時間、美味しいものを食べている時間、思い切り泳いでいる時間。そうしたアクティブに過ごすひと時は、私の人生に大きな刺激を与えてくれます。

でも、春以来、どこかにひとまず置いておこうと解き放ったままの、音楽をするというパートは、私が求めている状態にはなってくれなかったのです。

これまで私はひっきりなしにチャンスを与えられ、常に音楽家であることを求められてきました。それに応えるのが嬉しくて、私もひたすら励んで来ましたが、最近は求められているという実感が以前ほど持てなくなっていました。

そんな時にこそ旅に出ようと、許される限りの時間を費やして、何かを求めてさまよい歩きました。私が欲しかったのは生きているという実感です。

やはり私には立つべき舞台が必要なんだと思います。シンガポールにいる間にも、各地でいくつものコンサートが決まりましたから、また目まぐるしい毎日がやってくることでしょう。

ここシンガポールでの演奏会も、遠くない将来に実現すると予感しています。

その時に表現するためのものを、今のうちにたくさん蓄えておきたい。そして、ありったけの思いで鮮烈な演奏をしたい。そんな気持ちが急に強く湧きあがって来ました。

不思議なもので、私の周りには何ひとつなくなってしまったのかと思うほど静かだった日々は、こうして意欲が戻ってくるのとシンクロして活気づいてきました。

まずは来週の和歌山から。小さな再スタートですが、信州上田での私がそうだったように、これまでとは一味違うものを届けられるよう、心して走り始めます。

久しぶりに帰る東京。さて、どんな色に見えることやら。さて、どんな色に染めてみましょうか。