ミュージアム

佐賀公演を控え、福岡で2泊の待機。一度帰京することもできますが、あえて九州にとどまり体調とメンタルを調整することにしました。単身で完全アウェイの演奏会に臨むのは、いつでもかなりのプレッシャーです。終わってみれば、そんなに考えなくてもよかったと感じることも多いのですが、それはあくまで結果の話。あらゆる事態に備えておかなければ、わずかな甘えが一瞬にして舞台を台無しにするかも。単身だと、それを修復するのも責任を取るのも自分。誰ひとり助けてはくれません。でも上手くいけば、賛辞も喝采も独り占めです。上手くいけばですけど。

福岡ではセルフで筋肉メンテナンスに勤しみました。最近、タキシードの後ろ姿が崩れているのが気になって。肩甲骨に筋肉がへばり付くと、のっぺりした後ろ姿になります。それをストレッチで引っ剥がし、天使の羽根みたいなラインを取り戻して行きます。肩の可動域が戻れば、演奏も軽やかになりますので一石二鳥。こうした筋肉の硬直も、ほとんどがメンタルから。自信を失うと、心だけでなく体も硬くなります。

メンタル面では、モヤモヤした気分を払拭することを意識しました。過去半年くらいの失敗を振り返り、なぜそうなったのかを考えます。基本的に何かやらかせば、それはすべて自分の力不足が原因と思いがち。そういう部分もありますが、自分に責任がない事柄もあるのに、それまで背負い込んでしまうケースも少なくありません。

そして単身で動いていると、本来演奏者の耳に入れる必要のない雑言が聞こえてしまうことがあります。そんなことくらいでと思われるかもしれませんが、高度に秩序だてた上に、精神性を優位にしてするパフォーマンスでは、周囲のあらゆることに影響されるものです。だからこそ第一級の強固なメンタルが必要なのですが、それと謙虚さを同居させるのは容易でありません。何があっても他人のせいにはしない。でも、決して自分を責めない。実現するのは、天文学的な広さの中で、素粒子を意識するような感性が必要な気がします。

さて、しっかりリフレッシュして向かった佐賀。主催の皆さんが駅のホームで迎えてくれました。そして佐賀城公園内にある佐賀県立美術館へ。演奏会の会場は、この美術館の中にあります。緑豊かな敷地に点在する彫刻が、芸術の聖地であることを感じさせ、デザイン性の高い建物も目を引きます。美術館併設のホールは設計がユニークなことが多く、音楽ホールとは使い勝手が違います。ここも楽屋の位置や舞台袖の構造が特徴的。そしてホール内の響きも実に個性的です。

エレクトーンはすでに搬入済み。佐賀の楽器店さんが、レッスンで使用している楽器をやりくりして提供してくれました。それは旧式のエレクトーンのソフトをアップデートしたタイプ。機能は最新機種とまったく同じなので、いつも通りに演奏することができますが、鍵盤やプログラムチェンジに使用する足元のスイッチなどは、長い期間使い続けることでどうしてもダメージが蓄積します。用意してもらったエレクトーンも、相当の年月に渡り愛用されたもので、繊細な表現をするには厳しい部分もありました。

特にペダル鍵盤にはタッチレスポンスがほとんど効かない箇所や、通常よりも強めに弾かないときちんと発音しない箇所がある他、プログラムチェンジ用フットスイッチも反応が鈍くなっていたので、いつもよりきちんと操作しなければなりません。それ自体は難しくありませんが、一切の雑音を立てずに行うとなると極めて難しくなります。とにかく、本番までに少しでも感覚に慣れるよう努めます。それでも嬉しいのは、楽器をきれいに磨き上げて運んで来てくれたことです。鍵盤には汚れひとつなく、楽器に対する愛情を感じました。

もうひとつ困難だったのが、会場内の響きへの対応です。反射に特徴があり、音がブレて聞こえてしまうのですが、スピーカーの位置や向きを調整する程度の工夫では解決できませんでした。また各客席で聞こえ方に大きな差があるので、どこを基準にするかも難しい課題でした。こうした場合、遠くてよく見えない上にきちんと聞こえないでは申し訳ないので、後方座席の聞こえ方を優先します。

なんとかリハーサル時間内に対応できる限りのことはしました。それ以上意識しては演奏表現の妨げになり、すべてがダメになってしまいますので、解決不可能なことは思い切って諦め、可能な部分に集中することでマイナス要素から意識をそらすように持っていきます。

演奏会は定刻にスタート。小さなホールなので、お客様の顔がよく見えます。皆さん、とてもいい表情。語りかければそれを頷きながら聞いてくれ、曲が終われば温かくて大きな拍手をしてくれます。おかげで自然と演奏に向かう気持ちが膨らみ、指先だけではなく全身を使っての演奏になって行きました。同一プログラムの3公演のうち、もっともダイナミックで開放的な演奏になったのが佐賀でした。飯田では親しみと新鮮な驚きを、鹿児島ではエレガンスをと、同じプログラムでも毎回まったく違う雰囲気。これぞライブ演奏の醍醐味です。

佐賀でも終演後はロビーに出ました。たくさんのお客様と握手を交わしながら、皆さんにいただいた労いの言葉が今も心に響いています。また、佐賀では子どもたちも多く聞きに来てくれていました。大人とは桁違いの吸収力と感受性を持つ子どもたち。ちょっとはにかみながらも、まっすぐな瞳で私を見上げる姿が印象的でした。

こうして飯田-鹿児島-佐賀の3公演が終了しました。自分とじっくり向き合うことで、お客様に対して私はこういう演奏がしたいと真正面から示せるようになり、ここ一年ずっと抱えていた不安からもやっと解放されました。さあ、準備が整ったところで、更に先へと歩みを進めていくことにします。