エレクトーン独奏のみで構成する神田将リサイタル「響像」では、これまでも大きな管弦楽作品を演奏してきました。
中でも、ラフマニノフ:交響的舞曲、ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲、ムソルグスキー:展覧会の絵は、私に編曲のプロセスを示唆し、独奏への集中力と体力の限界を教えてくれました。
また、オペラの全幕公演や第九や協奏曲での経験は、長大な作品を演奏するのに必要なことの大半に気づかせてくれ、これならシンフォニーも弾けるのではと考えたのが10年ほど前のこと。
しかし、その壁は想像よりも遥かに高く、実現は困難を極めました。まずは単一楽章を演奏会プログラムに加えることから始め、ベートーヴェンやチャイコフスキーを好んで弾きました。
そして初の全楽章演奏に選んだのがドヴォルザークの9番。昨年披露するつもりだったのが、体力的に難しいと判断し、直前に曲目変更をして涙を飲むことに。もうシンフォニーは諦めようと思ったところに、多くの期待を寄せていただき、再度チャレンジしたのが今回のリサイタルです。
例えば、ラフマニノフ:交響的舞曲は演奏時間にして45分ほどあり、50分弱のドヴォルザーク:9番とさほど変わりません。なのに、どうして交響的舞曲は弾けるのに9番は弾けなかったのか。
そこにシンフォニーの持つ恐ろしさがあるように思います。演奏技術の点では交響的舞曲の方が難度が高いのですが、全体を俯瞰的に表現しやすく出来ており、感覚で自動操縦できる場面も多い。一方、シンフォニーは音楽的要求が深く、常にディテールを意識し、各楽器の相対性を確実にコントロールし続ける必要があって、一瞬たりとも自動操縦にはできない。
極端に言うと、映画音楽を弾く時は『イメージ』さえあれば他に何もいらないので気持ちよく弾ける一方、シンフォニーの時は国際会議で同時通訳するような緊張感がずっと続くので、脳内の酸素が常に足りません。
じゅうぶんなトレーニングをしたものの、本気で弾く場合、1日に1回通すのがやっとで、2回出来た試しがないまま当日を迎えました。本来は前日に2回通しのリハーサルを予定していたのですが、体調を崩して出来ず終い。その時点で自信を無くし、本番への意欲も消えました。
当時は気乗りしないまま東京文化会館へ。好天に恵まれ、上野公園は笑顔と活気に溢れていますが、私はひとり世界の終わりに取り残されて。楽屋に入って支度を始めるもなかなか気持ちが上がりませんでしたが、いざステージに行くとすべてが変わりました。
予定通り1クールの通しリハーサルを終え、本番で同じことができれば大成功という手応えを得られ、一安心。でも、疲労感は相当でしたので、自信は持てません。あとは体当たりでやるのみ。考えてもどうにもなりませんから。
ただ、開演までは人に会わず静かに過ごしたいと思いました。オフィシャルのスタッフには一通り挨拶しましたが、特に愛想なくても「本番前だもんね」と理解してくれるので気遣いせずにいられます。でも、いろいろな方々と会ってしまうと、こちらも嬉しくて、ついつい気分を盛り上げてしまう。それも大きな消耗なので、避けなければなりませんでした。
第1部はラヴェルとシベリウス。特にラヴェルの「鏡」は、表現手法が完成度を大きく左右するのですが、私には慣れない世界観の作品ですので、あらかじめ楽屋からモードに入っておきたく、人と距離を置いて過ごしました。賑わいの中のたまらない孤独感や、周囲数千キロに人のいない世界や、すでに人類が去った後の地球をイメージして弾きたいのに、自分が人の心に触れたままではそれができないので。
こうして意識してプランを立てても、その通りにいかないのが本番。今回、一番苦労したのが響きの変化でした。東京文化会館の響きとお客様の有無の変化は熟知していたはずなのに、リハーサルとは全然違う聞こえ方に大きく動揺しました。おそらく、リハーサルでは体力温存の意識が強くすべてをセーブしていたのが、本番で解き放たれたのも理由のひとつ。
そしてすでに目が霞んでしまって、プログラムチェンジのディスプレイがまったく見えず、時折プログラムチェンジミスをしてしまい、それが先に進みすぎたのか、進めたつもりが進まなかったのかが判別できず、焦りの原因になりました。もちろん楽譜も見えないのですが、それは実際には暗譜しているので問題ありません。
慣れている曲に痛恨の傷を付けてしまいましたが、ガッカリする暇もなく、時間を刻々と先に進めて行きます。後半はタキシードに着替えていよいよドヴォルザーク。
自分が苦しい時、よく思い出すのが美空ひばりさんの最後の東京ドーム公演です。本当に体調が限界なのに立派にステージを務めらた姿を思い浮かべ、自分なんてまだずっとマシなんだから、泣いてる場合か!と奮い立ちます。
努めて冷静に振る舞い、第2部のステージへ。正直、ほとんど何も覚えていませんが、楽章間にもお客様が集中を途切れされない空気を感じ、こんなに応援していただいているんだ!この沈黙は割れんばかりの拍手やエールと同じ意味なんだと受け止めて、次の楽章へ進んだ記憶があります。
終楽章を終え、やはりシンフォニーは別格だと思い知り、ボロボロに打ちのめされたのに、なんとも晴れやかな気分。今はこんなだけど、この先10年掛けて洗練を極めた演奏に持って行く。今に見ておれ!という意欲に燃えていました。
今日はスタート。素晴らしい一日。そして素晴らしいお客様。素晴らしいスタッフ。私は最高に幸せです。
一カ月前、リサイタルが終わった時、私は泣いているのか笑っているのかと、自分に問いました。実際には、どちらも当たっていました。これからも前人未踏の世界を突き進んで行きます。ひとりでシンフォニーを弾く。それは最高の気分ですから。
写真:上田海斗
















