16日の三木労音リサイタルのため、早めに関西へと移動して来ました。以前なら、当日入り、弾いてすぐ次の目的地へ、といった慌しい動きをしていましたが、今はゆとりを大切にしています。
自宅のスタジオでひとり稽古に没頭していると、時に「何だこの演奏は、すごいな」とまさに自画自賛の何物でもない気分になります。でも自惚れではなく、本当によい演奏なんです。
落ち着いていて、しなやかで、知的でいて、深く心をえぐるような大胆さがあって。自らが理想とする演奏が実現する時、このままそっくり同じことをお客様の前でと熱望するわけですが、できた試しがありません。
朝から移動もなく静かに過ごして、一番安心できる場所で、何の妨げもない環境で弾くからこその奇跡なのでしょう。
いざ演奏会への旅に出れば、完成度を削ぎ落とそうとする事象との戦いです。気にしない、気にしない、と動揺せずにいることは可能ですが、小石がひとつひとつと靴に入り、終いには痛くて弾けないよという事態になっていきます。
それでも弾く。涼しい顔をして、今日が最高と言わんばかりに。そんなことを繰り返しているうちに、いろいろなことを感じなくなってしまいました。
そんな頑固で無表情な老人の演奏など魅力ないですね。でも、演奏は大げさではダメだと思うのです。特に芸術の域を目指すなら、洗練は欠かせません。サーカスではなく、学びと思索の提供なのですから。
というわけで、今回も朝の湖面のような穏やかで整った演奏を意識しながら三木にまいります。私はひとりではない。みんなありがとう。
